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「あ。夢、間違えた」

最初に謝ってくと、私は人前に出て目立つことが本当に嫌いです。もし私が真逆の性格だったなら、この情報は瞬く間に拡散され世界はもう少しまともになっていたかも知れません。

しかしそうしていたら私は既にこの世にはいないかも。その理由は何れお分かり頂けるかと思います。だからイラっとするような表現があっても、目立ちたいとか、マウントを取りたいとか、承認欲求を満たしたいが為に発信しているのではない、という事をご理解頂けると嬉しいです。

そういう訳で身バレに繋がる内容はあまり書きたくはないのですが、具体的なことには触れずに話すとなると、話の内容がイマイチ見えてこなくなる可能性が高いのでかなり遡って少し昔話をしたいと思います。『イソップ童話』に擬えて…。


このnoteの趣旨

私自身は何の取り柄もない凡人だと自覚していますが、何故か出逢う人がいつも凄すぎて、起きる出来事が有り得なさすぎて、自分の人生をとても不思議に思いながら生きてきました。私がまず発信したい内容はこれらの出来事についてですが、それは単なるプロローグに過ぎません。

『はじめてのnote / 自己紹介』より

最初はバラバラのピースを一つずつ紹介するところから始めなきゃならないので意味不明なことが多いとは思いますが、何れ全てが繋がり全体像が見えてくる、小説で言うところのグランドホテル形式?的な感じになってくるのでエンタメ作品として楽しんで頂けたら…と思っています。

『はじめてのnote / 自己紹介』より

・裏切り者!?

中学受験の話になりますが、私は放課後も学校に残って時間の許す限り片っ端から問題を解いているようなガリ勉くんで担任以外の先生からも進学を勧められる位成績優秀な生徒でした。それほどまでに勉強が大好きだったのに何故か私は頑なに進学することを拒否して地元の中学に通う道を選択をしました。

その理由を私本人は全く覚えていなかったのですが、母によると受験しないと言っていた友だちが蓋を開けたら全員進学校を受験していて「騙された」って凄く泣いてたんだそうです。きっと友だちと同じ中学に通いたかったんじゃないか?って。

それで嫌な思い出だと早々に記憶から消去してしまったのかも知れません。兎に角全く覚えていないのです。しかしそう聞かされると、思い当たる節はあって、小学生時代の私はとてもよく喋る明るい子だったのに、丁度その頃から思っていることを全く口に出さない無口な子になった…という自覚がありました。恐らくこのことが原因で人間不信に陥り「信じられるのは科学的根拠のあるものだけ」という誰も何も信じない、懐疑心の強い人間になったんだと思います。

要するに出し抜かれた訳ですが、友だちを恨んだりはしませんでした。周囲の大人たちを見て反面教師にしていたのかも知れません。

  • バカ正直に信じた私がバカだった

  • 恨み辛みなんて自分の首を絞めるだけ

  • 嫌なことはさっさと忘れるに限る

この3つを小学生ながら心得ていて、陰で人の悪口を言っている人たちを見ては「不満があるなら本人に直接面と向かって堂々と言えばいいのに」と思いながら適当に相槌を打って話を合わせる…という態度を取っていました。だからイソップ童話『鳥と獣とコウモリ』のような二重スパイみたいに思われていたかも知れません。ただ私は、陰口を叩く輪に入りたくなかっただけなのですが…。

・大バカ者

地元の中学はそれはもう酷いものでした。尾崎豊の『卒業』に出てくるような窓ガラスの割れた校舎で誰も授業なんて聞いちゃいないような学校でした。おまけに「それ知ってる」的な、小学校のおさらいみたいな内容の授業だったのであまりにも退屈すぎて、教科書を開かなくなり、やがて学校にも行かなくなり、気付けば落ちこぼれ…というまさに『ウサギとカメ』に登場するマヌケなウサギをやってしまった訳です。

ウサギはゴールだけを見ていれば良かったのに「まだ全然余裕だ…」って、カメを見てしまったが故に負けた訳です。勿論それもあるのですが、私の場合はそもそもゴール地点にこれっぽっちも魅力を感じていなくて、最初から山の頂上を目指す気などさらさら無かった…というのが脱落した理由でもありました。周りの大人の誰もが口々に「良い大学に行け」「良い会社に入れ」「早く結婚して子どもを作れ」「家を建てろ」などと言いますが「何の為に?意味が解らない…」と思う私なのでした。(後々気付きましたがこれにも意味がありました)

滅多に授業に出席しないのだから自業自得と諦めましたが、コンピュータ、美術、音楽の3つの教科を選択できる機会があって、コンピュータか美術が希望だったのに「音楽しか残ってないよ」と言われて、その音楽の授業が教科書に載っている歌を皆で歌うだけの小学校レベルの授業だった時の落胆ぶりと言えばそれはもう…。何年かしてからテレビで放送された『音楽の正体』という番組を視た時は「こういうことを学びたかったのに!」と思いました。あれは神番組だと思います。

「進学も就職もしません!(声に出しては言わないけれど私にはやりたい事があるから!)」と三者面談はガン無視、受験勉強も就活もしない頑固一徹な生徒だったので先生から見れば高校生時代の私は相当な問題児だったんだろうなと思います。

・正直者

群れることを嫌う一匹狼でしたが何故かクラスメイトの何人かはいつも気遣って声を掛けてくれました。それで誘われて一緒に観た映画の中でとある職業の存在を初めて知ったのですが、それから何年も経たないうちにアルバイト雑誌を見ていたら偶然にもその職業の求人が目に留まりました。もしその映画を観ていなければ100%見落としていたキーワードでした。これが私の人生における最初の不思議な出来事です。未だ気付けていないことがあって、そう思っているだけかも知れませんが。

それがキッカケとなって、特に目指していた訳でもありませんでしたが、ぼんやりと描いていた「私がやりたかった事」は、とんとん拍子にあっさりと何の努力もしないまま、気付けばそこに居た…的に実現してしまっていました。これが二番目に起きた不思議な出来事です。(正確にはここに至るまでにも沢山の奇跡があったのですが)それも当時の私に想像できる範囲で最高の立ち位置だったと思います。それは与えられればきっと誰もが一生そこに居たいと願うであろう竜宮城のような場所でした。

しかしそれは私が当初から望んでいた居場所では無いと気付かされました。それがMacとの出逢いでした。「そうだ。私は本当はコンピュータの道に進みたかったんだ…」と。それにその場所は私には分不相応過ぎて、ずっとそこに居たらロクでもない天狗になると思いました。だから何の未練もなく去ることができました。そしてそれは『金の斧』のように続きました。

あの話では最初に金の斧が出てきて、次に銀の斧、最後に自分の斧を見て「そうそう!それが私の斧です!」という話だったと思うのですが、私に起きたのはその順序が逆でした。「いやいや、めっそうもない。」と身の程を弁えて手放す度に、神様はどんどん良いものを持って現れるという…それで今はとんでもない事態になっている…という訳なのですが。

という具合に、具体的なキーワードはなるべく出さないように書いてみたのでその凄さがイマイチ伝わらないとは思いますが、兎に角若干ハタチそこそこの若造が何の努力もせずに手に入れたものは誰もが羨む凄いものだったのですが、それが最高地点ではなかったということです。そしてそこに至るまでの道のりは友だちの「何処も受験せずに地元の学校へ行く」という嘘が無ければ成立していないのです。

だからどんな嫌なことが起きても、それが起きた意味を考えてみることは、気付きの近道になる可能性がある…ということで、次回は最初の気付きについてお話したいと思います。

ここまで読んで頂いて有難うございました。
ではまた。

【耀きが全地を照らすその日まで】-第1章-

追記
この記事のタイトルを最初は、教訓『イソップ童話』としていましたが別にイソップ童話を伝えたい訳じゃない…と思ったので変更させて頂きました。記事の見出しと画像選びのセンスが必要になるとは思ってませんでした。難しい…。

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