『日本人とは何か。 神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』母性社会である日本が日本化できるものとできないものの本質的な違いが知りたい(日本の歴史)
「日本人とは何か」を考える上で、日本が母性社会であることから法則性があるのではないか、という仮説が私にあり、山本七平の大著を読んでみた。しかし山本七平が伝えたかったことは、日本人の歴史に刻まれた「くせ」で、その「くせ」をそれぞれが学び国際化する将来に活かせ、ということのようだ。しかし、私が知りたかったことは、母性社会だからこそ受け入れたものと受け入れなかったものがあり、受け入れて日本化してしまったものの違いは何か、という疑問を解決することはできなかった。山本七平の知識をすればそれは可能だと考えたのだが、彼自身がクリスチャンであることはキリスト教を受け入れているという前提にあるので、社会学的な切り口として考察するには必要な距離感を保ちにくいからだろうか。
日本に来たザビエル以下のイエズス会宣教師が「Deus」(ラテン語で男性単数主格)をあくまで「デウス」とし、日本語に訳さなかったにも原因があるかも知れないが、父性社会であるキリスト教は受け入れず、仏教は徹底的に日本化して受け入れたことの根底には何があるのか、疑問が残ったままで、こんなに分厚い本を読んだのにすっきりしない。
1点すっきりしたのは、その集団が神に祈って神意を問い評決する。多数決に神意が現れると信じることが民族共通のルールで、多くの国での多数決の原理の発生は「多くの人が賛成したから正しい」という数の理論ではなく「神意」だと。
ユダヤ教のタルムードにも、奇跡を行い自分の主張が正しいとしたとしても神意は多数決を通じてのみ現れるとしている。これがキリス教の延長線上にある民主主義を日本が受け入れた本質だとも言っている。母性社会との関連性は見いだせないが…
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