『デトロイトでカムリを開発 トヨタウェイの米国移植に取り組んだ10年間』グラス・シーリング訴訟の対策は参考になった(他社の歴史)
同じ著者で『トヨタの車づくり トヨタでの車づくり 製品開発を語る』のレビューでも書いたが、本書でも著者は読者に何を伝えたいのかという疑問が湧く。おそらく著者の頭の中では、現在トヨタ自動車に務めるエンジニアに米国創業の頃を伝えたいのだろう。したがって、トヨタに属さない読者にとっては、海外赴任社の苦労話ということになる。
トヨタ本社にある開発部だけでなく、北米の開発部(テクニカルセンター:略称テクセン)が開発を行ったカムリが世界で最も売れた車となったが、当時テクセンは奥田社長から「関東軍になるな」と言われ続けたという。そんなテクセンで起きた「グラス・シーリング訴訟」についての対応は参考になった。
グラス・シーリング訴訟とは、性別や国籍といった本来の実力とは関係ないことが要因となり、正当な評価がされずに昇進を阻まれる状態を指す。以下がそのプロセスだ。
1)ロスの車両評価担当課のゼネラルマネージャーは日本人
2)その下のマネージャーは現地人のホートン
3)日本人マネージャーが3年の任期を経て帰国
4)ホートンは自分が昇格できると期待
5)しかし、日本から交替の課長が就任し、ゼネラルマネージャに就任
6)ホートンは弁護士を通じ米国テクニカルセンターを提訴
この事件により、結果的にテクセンが行った改善は以下。
従来)駐在員がゼネラルマネージャーになり、現地採用組はコーディネータの役割を担う
今後)現地採用組がゼネラルマネージャーになり、駐在員は、彼らを助けて、本社との連携を図り、トヨタのやり方(トヨタウェイ)をテクセンに移植する役目を果たす。
また、若手エンジニアが、トヨタで学んだことを勲章として、他企業にキャリアアップしてしまう例が多発した。
対策)最高水準を払うGMからトヨタに移る人がいる。その理由を調査し、移ってきたGMの給与とテクセンの入社時の給与の差を調べ、それを相場にする。さらに出戻りを許す。
つまり、1970年代から日本企業が推進してきた以下の方法は、グラス・シーリング訴訟のリスクがあるということだ。
「マネージングパワーという新しい労働力を要求している世界のマーケットに対して、日本が対応していけば、ここでも浮上が可能になろう。消費地に直結したところで、現地の過剰労働力を使って、マネージングパワーで生きていくというのが日本の唯一の生き残る方法だと考える。」1973年の第一次オイルショックの翌年、1974年10月17日に発刊された『逆転の発想』より
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。