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南アルプス 奥座敷で経験したこと

 9/19 1030am
細い登山道を慎重に終えて、無事に登山口まで下山した。
山は聖岳、南アルプスの奥座敷だ。
アクセスが不便で、日本百名山を目指す方々が最後の最後に来るようなところだ。
私は、先輩の98座達成のお供に連いてきた。
「やっとついたー」
「達成おめでとう」
「長かったー」
それぞれの感想が飛び出て、あとは約1時間アスファルト道を歩いて椹島サワラジマロッヂに辿りつき、シャワーを浴びて3日間の汗を流し、さっぱりした身体でロッジのバスに揺られ、一般車両が入れる地点まで行くはずだった。
予約してあるタクシーに乗り込んで、静岡駅までの数時間、ぐっすりとタクシーの中で船をかく予定だった。
早朝5時から下山終了まで集中していたのだから当然だ。

***

 ロッヂに着くとバス待ちの登山客たちが神妙な顔をして腰をかけている。
ロッヂから駐車場へ下りる道路(私たちの場合、予約タクシーに乗り込む場所への道)が土砂崩れで寸断されてしまったと聞いた。

「今のところ、復旧の目処が立っていません。」

一瞬唖然となったが、通れないものは仕方がない。次々に仕事場など約束をしていた相手に連絡する。もちろん、タクシー会社にもキャンセルを入れる。
「今日は泊まるけれど、明日には帰りたい!」
山で顔見知りになった人たちと不安を吐露し合って気持ちを共有すると、少しは楽になった。
南アルプスに来るような人は、ベテランが多い、「雨で停滞したと思えばいい」だとか「なんとかなるよ」そんな言葉が励ましとなって、だんだんと落ち着いてきた。
冷静になるとよく考えることもできる。
今は泊まるところも、食事もお風呂だって付いている。もし、場所が違っていたら野宿だったかも知れないし、数時間違っていたら、土砂にバスごと飲み込まれていたかも知れない。そう考えると数日間の足止めなんてたいしたことないのだと思えるようになった。

 その日の夕食時、ロッヂのスタッフから
「明日の朝からヘリコプター2機で救出作業を行います。後で部屋を回りますので、廊下に出て来てください」とアナウンスがあった。
それからは、山小屋で足りなかった睡眠を取り戻すように寝て、翌朝の救出に備えた。

 
 9/20 0600am
ザックを担いで外に出る。
レスキュー隊のお兄さんが、テキパキと腰にベルトを巻きつけてくれて準備をしてくれる。私たちは2番か3番目、くじ運が良かった。乗る順番は公平にくじで決めた。ヘリの燃料によって搭乗人数も変わる。私たちは登山者7名とレスキュー隊4名。

「こんな時に不謹慎ですけど、動画撮ってもいいんですか?」誰かが訊いた。レスキュー隊のお兄さんは
「どうぞどうぞ、愉しんでください。飛んだらあっという間ですよ」
と優しく答えてくれた。きっと私たちの緊張をほぐすためだったのではないかと思う。
乗り込んだら、先ほどの腰ベルトにカラビナをかけ、頭にヘッドフォンを付けられた。隊員同士の会話が聞こえて来て、それがなんだか心地良く、落ち着いた。
10分間の飛行は、怖さよりも美しい山並みの景色が素晴らしくて、見惚れていた。

無事に井川町についてヘッドフォンを外し、隊員たちにお礼を言ったが、プロペラの音にかき消されてしまった。ヘッドフォンをつけている状態でマイクに向かって言えばよかったのだろうか?と少し後悔した。

地上に着くと大勢のマスコミがいてカメラを向けられた。大変そうな顔をすればよいのか?心のまま安堵し、少しはしゃいでしまった顔をしていてもいいのか? 迷った。

診療所に通され気分は悪くないと伝えたが、心臓はドキドキ昂っていて、血圧は上がっていた。その後、公民館に通されて冷たいお茶を戴いた。何杯も飲んでしまい、自分自身、気が付かないところでたいそうな緊張があったのだと感じた。

静岡駅まで送車が出るということで、新幹線利用の登山者を何便か待っている時、役所の皆さんやロッヂのスタッフの方が、夜通し動いていてくれたことを聞いて、感謝しかないと思った。この災害では幸いなことに負傷者がひとりも居なかったので本当に良かった。手厚い支援もして頂いて、人との交流が豊かだった。とても貴重な体験をした。

南アルプスの奥座敷、登山は結構ハードだったけれど、土砂崩れの原因も解明されたら、またいつの日か来たい!と思う。
ありがとうございました。

***

いま、もっと重大な被災をされている地区の皆さん、テレビの画面から苦痛が痛いほど伝わってきます。少しでも早く楽になれるよう心から願っています。


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