何よりもこだわりたいのは人間関係。
人間は一人で生きていけないからこそ、ややこしくなるのが人間関係。
あのアドラーですら「人間の悩みのほとんどは人間関係」と言うほどです。
それくらい切っても切れない人間関係なのですが、以前の私はちゃんと考えておらず「来る者拒まず、去る者追わず」という精神が強かったように思います。
私の人間関係は基本的に来る人を受け入れてしまっていて、せっかく来てくれたのだからと自分がその人になんとか合わせようとする、波風がたたないように一生懸命やり過ごす。
負の感情を受けてしまいすぎると食らってしまうところがあって、愚痴を聞いたあとに熱が出て寝込んでしまうこともありました。
当時は大人ってそういうもんだと思っていたし、好き嫌いなく人間関係を円滑に進めるほうが「より良い大人」だと思っていたんです。
でも「来る者拒まず」の精神は、私の場合自信のなさが原因だったんだと思う。
自分なんかに優しくしてくれるのが嬉しくて、見つけてもらえたのが嬉しくて、そんな受け身の日々を過ごしていたから、暗黒婚活時代は男女問わずいつの間にか変な人ばかりが周りにたくさんいました。
何故かいつも問題を運んで巻き込んでくる人。嘘つく人。他責な人。裏表がある人。自分を顧みない人。いつもイライラしている人。落ち込みやすくて精神が不安定な人。等々…
「この人は自分がいないとだめだから」なんて長女特有の謎の面倒見の良さを発揮してしまうのですが、恐ろしいことにだんだんと逆に自分が依存していくんです。
相手の行動や発言に敏感になってしまい、でもその本心を相手に聞くことができずにもやもやとした夜を過ごす。
周りに変な人が多くなってることは薄々感じてはいたのですが、全部受け入れて、心はすり減ってを繰り返していた時に、ふと気付いたことがありました。
こんな人間関係を変えようとしないで受け入れている私が一番変やんけ…!!ということに。
変な人が寄ってきている時って自分も他責だったり、言い訳ばかりを並べたり、思い込みが激しかったりと、とにかく変な思考になりがちなんですよね。
そして「自信のなさ」という甘い蜜が変な人を引き寄せていて、ちゅうちゅうと搾取されてしまっている。
もう干からびすぎて干物を通り越して化石になりつつあった時、ついに私はよれよれと立ち上がったのです。
主体的に生きていきたい!!!!!
枯れるくらいたくさん泣いた。悔しい。悔しい。私だって、私だって、幸せになってやるんだ!!!!!
それからの私は「自ら声をかけ、来る者選んで、時々見直し、思い合えなければ去る」というマインドでいるようになりました。
自分の人生の登場人物は自分で決める。
生きるということは無限ではなく有限で、誰に時間を使うかは自分自身で選んでいい。
私はエキストラなんかじゃない。
私の人生の物語を動かせるのは私だけだ。
最初の段階で人選するというのは、自分の心を守るためにとても大切です。
それは受け身ではできないこと。
懐に入った人を後から手離すというのはかなり大変で、情も出てきてしまうし、だからこそどんどん心がすり減ってしまいますから。
でも後から気付いた場合もそのままにせず、離れて心を守ることをおすすめします。
自分の目の届く範囲の「小さな世界」は必ず確保し続けていくこと。
そして親しき仲にも礼儀と尊敬を持ち、大切に思い合うこと。
これらを丁寧にできる人間関係をずっと構築していけたらいいなぁと思うのでした。