四葉のクローバーを見つけるには。
「運が良い人」と「運が悪い人」って、何が違うんだろう。
昔からそういう話題になると、ついつい考えを巡らせてしまう。
最近、運というのは偶然じゃなくて習慣なのかもしれないと思うようになった。ついついやっちゃう癖みたいなもの。
運が良い人は日常の中で「幸運を見つける習慣」を持ってる。逆に悪い人は「幸運を逃す癖」があるのかもしれない。
自分で書いといてなんですが、「幸運を逃す癖」ってめちゃくちゃ怖くないですか…
幸せやチャンスが目の前にあっても気づけなかったり、意識せずに自ら遠ざけてしまう行動や思考にその癖は宿るのだと思う。
運を遠ざけることに関しては日本代表だった私が書いているのだから間違いない。(おまえかい)
過去の私を振り返ってみるとこんな感じの人間だったと思う。
いつの頃からかこの考えが抜けない限り、幸せになれない気がしてならなかったのだ。
幸運は誰の前にも必ずあるのに、それに気づかないのは自分自身の感受性に問題があるのではないかと考えるようになった。
だって誰のところにも雨は降るし、虹はかかるから。
夜は暗闇に包まれるけど、朝日は平等に昇るし、明けない夜はないから。
「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」と茨木のり子の叱咤激励も聞こえてきた。
幸運を見つけることはスピリチュアルみたいな特別な力があるとかじゃなくて、運の良し悪しは案外「捉え方」や「考え方」の違いで、小さな幸運をちゃんと拾えるのかもしれないと思うになったのだ。
先ほど書いた特徴に「結果だけを重視して過程を楽しめない。」というのを入れたのだけど、これが一番厄介で不幸癖をつけてしまっていると思う。
仕事も人間関係もやりたいことも、0か100かだと辛いもの。
何故かというと結果を出すって、ものすごく時間がかかるから。その過程はしんどいもので、ネガティブな発言が多くなるし人のせいにしがちになる。
個人的には、四葉のクローバーを見つけることよりも、見つけてる過程を楽しめる人になりたい。普通は幸せの象徴・四葉のクローバーを見つけることが目的になりがちだけど、その過程自体を楽しめる人って、すごく幸せな気がするのだ。
四葉のクローバーを見つけるのももちろん嬉しいけど、あの過程のワクワク感ってそれ以上に大切なものがあるんじゃないかなと思う。結果にとらわれず、その瞬間を大切にすることが、実は「運がいい」ことに繋がっているのかもしれない。
そしてそういう習慣を持ってる人が四葉のクローバーを見つけられるんだろうなと思う。
結果にこだわることよりも過程が苦じゃない人って「長く続けること」ができるから、おのずと結果も出てきやすくなっていくのかも。
「失敗ではない。それはうまくいかない一万通りの方法を見つけただけだ」と、エジソンマインドで過程を楽しめる人でありたいと思う。