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働くための理由が1必要として1満たせるものであれば「金」だけでもいいし「精神的満足」だけでもいい

私は1度転職を経験した社会人3年目の人間です。

時たま面接の場における「なぜ弊社で働きたいと思いますか?」という問いがくだらないものとして面白おかしく「金に決まってんだろーが」と突っ込まれている場面を目にすることがあり、そのたびに、なんかちょっとズレてるなぁと思っていました。

面接の場における「なぜ弊社で働きたいと思いますか?」は、あなたにとって本当にクリティカルな理由を教えてください、という問いではなくて、弊社で長く務めるということがお互い現実的なことなんでしょうかね、という問いだと思うからです。

働きたい理由、働く目的が賃金であることは全然問題ないのですが、そもそも労働することが賃金をもらうことだから、そのような問いを受けたときに「金にきまってんだろーが」と「思う」(金に決まってると思う人も面接の場ではそうは回答しないと思うので)ことはちょっとちぐはぐな感じもします。

始まりはそういうところからで、このnoteで考えたい本題はそれではありません。

本題は、「なんのために働くのか」「働く理由」「働き続けるモチベーション」って、どういうものがいいんだろう、ということです。

今のところ、私の考えとしてはまず、「モチベーション」というのは、いわゆる線グラフのように上がったり下がったりする「私のやる気」のようなものではなくて、「仕事」や「職場」、「顧客」に対する関係性の中で認識されるものだ、と考えています。なので、仕事や職場、顧客と私という関係を深く見つめることなく、ただ「仕事のモチベーション」を目の前に取り出してなにかこねくり回したり、形をしっかりさせようとしても難しいことだと感じます。

また、働く理由や目的は、働くことをやめないために必要な理由や目的の量を「1」としたときに、「1」になるのであれば理由は1つでもいいし複数でもいいし、「金」でも「精神的満足」でもいいなと思います。

「金のために働いてる」といわれると、そこに精神的満足を追い求めることはないの?精神的なバックがないと継続はつらくない?と思うのですが、そうじゃない人も当然いると思います。こういう風に思うようになった理由としては、世の中には本当に多くの職種や仕事が存在することを、社会人になってようやく気付いたからです。以前は、BtoC的な仕事、分かりやすい仕事しか目に見えませんでしたが、今は依然よりも、何かを見たり受け取ったときに、その背後に存在する仕事人の多さに気づくようになりました。でも、きっと今でも気づけているのは本当の全体の3割くらいなんだろうなと思います。まだまだ、見えていない、気づけていない仕事というのは世の中にありそうです。

私自身は、どちらかというと仕事には「精神的満足」が欲しい。そして同時にそこそこの「金」も欲しい。「金」が大きく希望を上回る場合でも、「精神的満足」が脅かされそうな仕事はなるべく避けたい。そんな感じです。

精神的満足、というのは「社会に含まれている感覚」です。しかもそこで「何かの役には立っている」という感覚を味わいたい。これが私が働く理由です。だから、私は仮に結婚して出産しても、働きたいと今は感じています。なぜなら育児で一人で家にいるとき、世界は子供と私だけになり、その感覚を得ずらいと考えているからです。もしかすると、そんなことはなく、子供の笑顔一つで私は存在が許されているように感じられるかもしれないし、そもそも子供ができない何かしらの理由があって、逆に「子供が産めない」ことを理由に、社会に含まれている感覚を持てないようになってしまうこともあるかもしれません(それは望ましい社会ではないですが)。

私は、そのような感じで、金と精神的満足を混ぜて足してぎりぎり「1」くらいです。なので、結構頻繁に仕事に行きたくない、働きたくない、と思います。ぎりぎり「1」なので、すぐふっと「1」に満たない瞬間が来やすいのです。

逆に、「成人してるから」が理由になる人とかもいるかもしれません。会社の先輩に今日は仕事行きたくないな~という日はないんですか?と聞いたら、ない、と言われて非常に驚いたことがあります。そういう人は、きっと「1」の理由が割とぶれない要素と結びついているのかなと思います。「特に理由はないけどなんとなく」で働いている人も、おそらく自分では意識しないくらい隠れたブレない要素で「1」を満たしているのではないでしょうか。

そしてこの「1」が満たせない中で、働き続けることは本当に厳しい。難しい。しんどい、つらい。でもそういう人のほうが多いと思う。「-1000」くらいでなんとか働いている人もいるかもしれない。

ずっと「1」を満たしていたいと、働き続けたいと思うけどそれが難しいことも多いんだろうな。働けるということはありがたいこと。確かにそう。

なんだか働く、ということは人によって、人生のどういう役割をしているか、が人によってさまざま過ぎて語ることが難しいですね。だからこそ働くに関連する哲学的対話とか面白そう。



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