多言語学習の混同対策〜クルド語方言ボキャビルの例
クルド語クルマンジー方言を齧ってから、ソラニー方言を勉強していて感じること…
…混ざる(汗)
Twitterスペース「語学の扉」での話
朝日新聞「語学の扉」という、様々な言語学習者にインタビューする連載を最近になって知り、すっかりハマっている。
この関連企画で、Twitterスペースも不定期開催されているのだが、多言語学習者(ロシア語など)の記者をゲストに迎えた回をたまたま聞いて驚いた。
近い言語同士の方がやりにくいという。
【該当箇所】(※超訳)
・外国語を使う時は、頭の中で「スイッチ」を切り替える感覚があるが、近い言語同士の場合、その効きが悪い。
・ウクライナ語は、勉強してきたロシア語と似ているからか、語彙・文法などが混ざる。(英語や日本語など全然違う言語では起こらない現象)
・韓国語は、SOVの語順に慣れない。今まで学習してきた外国語がSVOばかりだったからか、つい動詞を先に言ってしまう。また今まで外国語を話す時に使ってきた思考回路・言い回しがきかない。("I think…"と先に言いながら自分の意見を考えるなど)
正直これを聞くまでは、似ている言語は勉強しやすいと漠然と思っていた。
自分が勉強してきた韓国語は、母語の日本語と似ているところが多々あるが、自分はその類似点から恩恵を受けてきたと感じていたからだ。
しかしこのTwitterスペースの話を聞いた瞬間、自分の問題意識が一変した。
「スイッチ」の切替がうまくできない、言語同士が混ざって干渉する…。
これは今勉強中のクルド語クルマンジー方言とソラニー方言にも思いっ切り当てはまりそう、他人事じゃないぞと直感した。
そんな不安を抱えながらも、解決策は見出だせないまま、秋からソラニーの授業に突入していく…
「男」の単語がややこしい〜方言比較で覚えるクルド語語彙
ソラニーの授業を受けていて、piyaw(پیاو)とkuř(کوڕ)という言葉が出てきた。それぞれ「男」「男の子」という意味とのこと。
kuř(کوڕ)という単語は耳覚えがあったが、piyaw(پیاو)という単語はクルマンジーでは聞いたことがなかった。同時に、そういえば「男」って意味の単語は色々沢山あったような気もするなあ…と、曖昧模糊とした記憶も蘇ってきた。
こういう時は最近買った例の多言語辞書を使ってみようと、早速『Ferhenga Japonî-Kurdî-Îngîlîzî』を引いてみる;
左側の枠がクルマンジーで、右側の枠がソラニーだが、こうやってよく見比べてみると、意外ときれいな対になっているのが分かった。
・「男」は、mêr-mêrd(مێرد), peya-piyaw(پیاو)が対で、zilamは同じ(زلام)
・「男の子」は、kurは同様(کوڕ)で、lawはクルマンジーのみ
漠然とややこしいと感じていたことも、調べてみると思ったより整理整頓でき、更に比較を通じてpeyaとmêrd(مێرد)という新しい単語も双方で得ることができたのだった。
漫然と恐れず、よく見比べる
「語学の扉」Twitterスペースを聴いて新たに抱えた「混ざる」問題に対しては当初、対策らしい対策は何も思いつかずにいた。
しかし、混ざらないようにするには結局キッチリ向き合って比較するアプローチを取るしかない、むしろ積極的にそうすべきなのではないかと実感している。
似たような言葉だなあという漠然とした感覚のまま、違和感や消化不良を抱えて放っておくと、覚えた知識同士が干渉しあい、記憶がどんどん混ざってきて、意識が曖昧模糊としてくる。
じゃあどうするかというと結局、よく見比べて覚えるしかない。身も蓋もないけど。
自分はクルド語のボキャビルにはAnkiを使っているのだが、幸いこのアプリは横断検索が効く。「男」の一件以来、日々の勉強で語彙を追加しながら何か心に引っかかった時は、Ankiで横断検索してみてはクルマンジー方言・ソラニー方言の単語を双方に追記するようになった。(少しずつだけど)
不安が少し先立ちもするし結構面倒だったりもするけど、そこに向き合いひと手間かけてよく見極めると、思うほど難しいことは何もない。むしろ比較を通じて記憶は強化され、知識はより深まり豊かになる。
つまらない結論ではあるけれど、この当たり前で簡単・単純なことを引き続きチマチマと続けることで、落とし穴・弱みになり得る所をしっかり強みに変えていけるようにしていきたい。
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