1夜 想像の怪物
岩と花
「なんじゃ、またエルフか」
冷たく暗い、ファンタジックな造りの研究室。褐色肌の少年が、空間に投影された画面に釘付けになっている。もう飽きたと言いたげな顔で。
「オグマ様、また漫画読んでます?」
隣で、別の空間投影ディスプレイを見ている眼鏡の少年から、あきれた声が返ってくる。テーブル上に投影されたキーボードを行き来する、細い指。
「リーフよ。フリズスキャルヴの端末で地球のインターネットを見たいと言い出したのは、おぬしであろう。これはテストじゃ」
「ええ。地球人が無自覚に振りまく『創作災害』から、ヴェネローンや加盟都市を守るためにも、情報収集は必要ですから」
リーフと呼ばれた眼鏡の少年が大人びた落ち着きで、褐色肌のオグマ少年をたしなめる。どう見てもリーフが年上だが、彼より小柄で幼い顔立ちのオグマを目上に扱っている。
「さっきから、ずっと見てますね。エルフが主役のお話ばかり」
オグマが読んでいたのは、日本の漫画。見目麗しいエルフが、醜いゴブリンを弓や魔法で蹴散らしている。
「むごいものじゃよ。エルフとゴブリンは、かつて似たもの同士だった」
あごに手を当て、ため息をつくオグマ。
「それが、エルフは美化されファンタジーの花形に。ゴブリンは今や、最もおぞましい悪鬼に成り果てた」
地球人の創作物が放つ強いイメージは、遠い異世界にまで影響を及ぼして、そこに住む者たちの姿や性質まで歪めてしまう。創作災害の一例だ。
「イメージは世界を形作る。それがヒュプノクラフトの本質ですけど」
リーフもまた、少し困った表情を見せる。
「自分たちが世界を改変している事実に気付かず、神の如きチカラを知らぬ間に振り回す地球人にも困ったものですね」
「そして、ドワーフは脇へ追いやられた。母なるイワナガヒメのようにな」
日本神話のエピソードと重ねて、ドワーフの不遇を嘆くオグマ。
昔、天より降臨したニニギノミコトは、二人の娘を妻にと勧められた。彼は美しいコノハナサクヤビメだけを選び、醜いイワナガヒメは帰された。
「ウス異本の読みすぎで、正気を失わないようお願いしますよ」
冗談めかしながら、自分の仕事に戻るリーフ。彼の緑の髪には、乙女桔梗の花が散らばるように咲いていた。
イタズラとお仕置き
「入りまぁす!」
研究室に響くのは、素っ頓狂に明るい女の子の声。
「ユッフィーさぁんを、お連れしましたぁ!」
「ありがとうございます、エルルさん」
自動ドアが開く。一本に編んだ金髪を揺らしながら、陽気な足取りでエルルと呼ばれた娘が入ってくる。後ろから静かについてくるのは、青い髪を腰まで届くツインテールに結った小柄な娘。彼女がユッフィーか。
「あなたは…!」
「また会ったのう」
オグマを見て、ユッフィーの足が止まる。色白の顔に浮かぶ、驚きの表情。脳裏によみがえる、鮮明な記憶。
ここヴェネローンは、誰もが眠りの中でオーロラに導かれ、訪れる夢の都。
季節ごとに様々な祭りが催される、異世界テーマパーク。ユッフィーもまたルペルカリア祭でエルルと知り合い、親しくなった。あれから半年以上。
ユッフィーとエルルはお祭りのたびヴェネローンの名所を回り、親交を深めたが。その際いつも、通りすがりにイタズラしてくる謎の悪童がいた。後ろからお尻を撫でたり、転んだふりをして豪快に胸元に顔をうずめたり。
とんだエロガキだが、どこか憎めない愛らしさもあった。
「どうして、ここにいますの」
「わしこそ最後のドヴェルグ、アスガルティアの民を導く長老オグマだからじゃ」
深まる困惑。ふとユッフィーが、エルルの顔を見る。黙っていたのかと。
「ごめんなさいねぇ、ユッフィーさぁん」
「彼が長老と知れたら、アスガルティア人は面子も威厳も無いと?」
「まあ、そんなところです」
手を合わせて謝るエルルと、補足を入れるリーフ。
「てっきり、立派なおヒゲのおじいさんかと思いましたの」
「おぬしの言う通りじゃったよ、昔はな」
辛い過去を思い出したのか、エルルの表情がわずかにくもる。
「バルドル様が亡くなったときぃ、最終戦争を予見したオグマ様はみんなを逃がそうと密かに大船フリングホルニを作っていたんですぅ」
オグマの身の上について、語り出すエルル。
「そのかいあって、民を大地の崩壊より救うことができた。じゃが後を追ってきた巨狼フェンリルとの戦いで、チカラと記憶を喰われてしまってのう」
「そうでしたのね」
ひとまず、納得するユッフィー。
「この身体では、好きな酒も飲めん!気晴らしと言ったら」
オグマの手が、ユッフィーのたわわな果実へ伸びると。頬を膨らませた彼女が、その手を即座につねった。
「あだだだだ!」
「セクハラには、お仕置きですの」
民を救った英雄であり、イタズラな悪童。顔を見合わせ、苦笑いを浮かべるリーフとエルル。
「ユッフィーさぁんはぁ、オグマ様の好みにドンピシャですからねぇ」
今のオグマに背丈が近く、胸が大きくて、気の強いドワーフ娘。ユッフィーはその条件にピッタリだった。
「あと肌が黒ければ、完璧じゃがな」
オグマが凄い人なのは分かったけど、それとは別だと抗弁するユッフィー。
「ヴェネローンへの訪問者はみな、アバター人形を使っているのでしょう?元の姿を再現することもできるのに、イタズラ目的で子供になるなんて」
「おぬしこそ、アバターの中身は男であろう!ならば男だけのドヴェルグの寂しさも分かるだろうに」
ドヴェルグはドワーフの祖先にして上位種で、男しかいない。ドワーフの女がいつから生まれるようになったかは、諸説ある。
「キャラが立ってくると、生みの親でも勝手な真似はできませんの」
「本題に戻りましょう」
放っておいたら、キリがないと。リーフが二人の間に入った。
「そうじゃな」
「わたくしも、構いませんの」
災いの星、地球
「改めて、ユッフィーさんにエルルさん。ヴェネローン紋章院へようこそ」
リーフが日本式のお辞儀をする。場の空気も静まり返った。
「手短に行きましょう。僕は『ベナンダンティ計画』のリーダーとして、お二人を紋章院の客員研究員にお招きしたいのです」
「ベナン…ダンティ?」
耳慣れぬ言葉に、首を傾げるユッフィー。
「早い話、先日ユッフィーさんが提案した『勇者候補生プラン』の焼き直しですけどね」
「では、地球生まれの脅威と戦える、地球人の勇者を」
拳を握るユッフィー、言葉にも熱がこもる。
「紋章院としても、育成を支援します。ですが戦場は、地球の『夜』です」
「遺跡の探索は、当面無理じゃからのう」
またも、悲しげな顔をするエルル。ヴェネローンの人々の心に重くのしかかる、憂いの原因。「勇者の落日」と呼ばれる、冒険者たちの大量遭難事件。
「問題は、ヴェネローン戦士団を壊滅に追い込んだ襲撃者が地球生まれの『ガチャドラゴン』を多数使役していたことです」
リーフが空間に映したのは、ティラノサウルスに似たドラゴン。背景は東京の夜景で、ビル街にそびえる建物には見覚えが。
「このビル、レックス社の本社ですの」
「確か、日本で有名な『RPGの王様』でしたね」
エルルとオグマが顔を見合わせる。リーフとユッフィーの会話は、二人には意味不明だ。ユッフィーが簡単に紹介する。
「RPGという、冒険者ごっこのゲームを作っている会社ですの」
「このレックス社は、無自覚に地球人の憎悪を集めてしまっていて。それがヴェネローンの宿敵『ガーデナー』に悪用されているんです」
映像の中のドラゴンたちは、夜の街を我がもの顔にのしのし歩く。ところが街が壊れたり、誰かが襲われる様子はない。通行人からも完全に無視されている。まるで幽霊。
カプセルトイのカプセルみたいな卵がパカっと開いたと思ったら。中から小さなドラゴンが飛び出して、そのまま恐竜サイズに巨大化する。だから、ガチャドラゴンなのか。
「これ、CGか何かですの?」
「いえ、彼らは確かにそこにいます。地球には古の人々が張り巡らした結界があって、地球人の理解を超える神秘や怪物を無力化しているのです」
ユッフィーの疑問に、リーフが簡潔に答えると。オグマが忌々しげな顔で、こう付け加えた。
「結界の名は、幻想拒絶。古の昔、地球人は自らの恐怖心が生んだ数々の怪物に生存を脅かされておった」
「昔は、地球人が創作災害の一番の被害者だったと?」
うなずくオグマ。「ぼくのかんがえた最悪のモンスター」が即座に実体化して、襲ってくる世界。それは正気を失う狂気に満ちていたのだろう。
「怪物のいない世界を望んだ地球人どもは、全ての神秘と怪物を忘却の彼方へ追いやるヒュプノクラフト『幻想拒絶』を使った。そして自らの所業に目を背け、異世界へ無自覚に災いを振りまく存在となった」
「わたしぃたちもぉ、地球に干渉できなくなっちゃったんですぅ」
遠い目をして、エルルも語る。アスガルティア人はもともと地球人で、幻想拒絶の影響で故郷に帰れなくなったのだと。
「地球人の憎悪から生まれた怪物は、異世界に転送されて結界の外へ出ると本来のチカラを取り戻し、手に負えないほど凶暴化します」
それが、異世界の勇者たちをも壊滅に追い込んだ。ユッフィーの頭の中で、リーフの計画の目的が明らかになってくる。
「想像の怪物たちが地球外へ運ばれる前に、幻想拒絶で弱体化したところを討つ。そのために、地球人の協力者が必要だと?」
「その通りです」
リーフとユッフィーの問答を聞くオグマの中で、久しく惰眠を貪っていた何かが目覚める。
たいていの地球人は、無責任だ。けれど目の前のユッフィーは、現実に目を向け、真実を知った者の責任を果たそうとしている。ならば、自分がすべきことは。
「ユッフィーよ、わしの弟子にならぬか?わしなら、ドワーフの短い手足に合った戦い方を教えてやれるぞ」
少し期待して、オグマがユッフィーを見る。しかし、また変な誤解を招いてしまったようだ。ギロリとにらみ返される。
「お断りですの。自分で何とかしますわ」
ああ、セクハラ師匠に世間の風は冷たい。
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