9夜 ちきゅうをみるひと
深淵をのぞくとき
地球人は星を見る。
夜空の月を見上げ、望遠鏡でさらに遠くの星をのぞいて。
しまいには、宇宙望遠鏡を打ち上げて宇宙の果てを探索する。
それは、とおいとおいむかしの光。
でもね。ちきゅうだって、みられてる。
異世界の人も、地球人とは違う観測装置を使って、地球を観察してる。
その装置の名は「フリズスキャルヴ」。
北欧神話に伝わる、全世界を見渡すチカラを持ったオーディンの高座。
もっと砕けた言い方をすれば、異世界が見えるテレビ。
見えるのは、現実だけじゃない。なんと、夢の世界まで。
神々がどこかへ去り。神話の時代が、過去のものになった現代。
異世界テレビを見ているのは、異世界の若き天文学者。
「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらを見返す」。
ニーチェの言葉であって、クトゥルフ神話発祥の言葉ではない。
ユッフィー見つけた
「ブリーシンガメンの反応をキャッチ。間違いなく、ユッフィーさんです」
誰かが、空の上からユッフィーを見下ろしている。本当はもっと遠くからだけど、視点を調節してドローンから撮影したような見た目にしている。
ユッフィーは、悪夢のゲームに実装されたガチャを回して。とりあえず間に合わせの装備を整えていた。ドワーフらしく戦斧を担ぎ、全身を黒一色でコーディネートしているが、よく見ると防具のデザインに統一性がない。
さっき襲ってきた暴徒3人よりは、多少マシな装いか。首飾りの赤だけが、褐色の胸元で存在感を主張している。
近所のスーパー銭湯前の坂道を登り、まっすぐ歩くユッフィーの後から。
あたりをきょろきょろしながら、おっかなびっくりでついてくる水色ディアンドルのエルルちゃん。ビール祭り、オクトーバーフェストの定番衣装だ。
ユッフィーとエルルを、空から見守るのは。魔法使いっぽい少年と、和装の古風な女性。
「あんの頑固者、何が『ヴェネローンの掟には縛られぬ』じゃ。フリングホルニに派兵しつつ、評議会のご機嫌取りもせねばならぬこっちの身にも」
和装の女性が、ウサギの耳をピクピクさせている。兎の獣人らしき彼女は、オグマの暴走にたいそうご立腹のようだ。緋袴をはいている他は、薄い胸にサラシを巻いただけの身軽な姿で。
「ずっと、トラブル続きでしたね。アリサ様」
ため息をつく眼鏡の少年は、髪も瞳も緑色で。紫色の小さな鐘を思わせる花が、髪に散らばるように咲いている。衣装は、中世ヨーロッパの「紋章官」をモチーフにしているようだ。
「『勇者の落日』に始まり、オグマとユッフィーの追放。全ては評議会と神殿長の石頭が原因じゃが、いまは目の前の異変に集中せねばならんな」
アリサが、あごに手をやって波乱の道のりを振り返る。
「はい。オリヒメさんまでガーデナーの召喚儀式に巻き込まれた以上、予断を許さない状況です」
何が何だかさっぱりだが、地球から夢渡りの蝶たちが飛び立てない「ロックダウン」の状況なのに。異世界人が「拡張現実の夢」に迷い込んだらしい。
「リーフよ、おぬしも手伝ってくれぬか?ゾーラがオリヒメを探しに行くと言って、未調整のビフロストに飛び込んでしまってな」
ふたりの会話に割り込んできた幻影は、黒髪で褐色肌の少年ドワーフ。
その声は、オグマと同じものだった。彼こそがドヴェルグの賢者オグマ本人だろうか。その割に、ドワーフに付き物の立派なヒゲが見当たらないが。
「オグマ様、フリングホルニの故障なら僕は専門外です。ユッフィーさんに大きなトラブルはないようですし、首飾りの人格に頼んでみては?」
「では、そうするかのう」
あわてた様子のオグマに、アリサが忍び笑いを漏らした。
「わらわの苦労が、少しは分かったか」
散歩道はダンジョンに
「記憶を失っていても、ユッフィーさんは冒険者の勘を失ってませんね」
「そのようじゃな」
花人の少年紋章士リーフと、兎人の女侍アリサが見守る視線の先では。
粉雪が降る中、昼間にD J Pで歩いた散歩道を、ユッフィーが油断なく進んでいく。物陰に潜む襲撃者がいないか、警戒しながら。
見慣れた風景は、夢の中では戦場か迷宮と化していた。どこからか、銃を乱射する音まで聞こえてくる。
ガチャを回すために、通貨「ニクム」目当てで他のプレイヤーを襲っているのか。あるいは、無意識が生んだ悪夢の怪物と戦っているのか。
「ユッフィーさぁん。目的地まで、およそ900mぅ。まっすぐ進んでくださぁい。銑十郎さぁんはぁ、そこから動いてませんねぇ」
「ありがとうございますの、エルル様」
坂道を登った先の、高層マンションが立ち並ぶ広場や。向かい側の鉄工所の壁も。ヒュプノクラフトの落書きで、まるでスラム街のような危険な雰囲気へと様変わり。あちこちにバリケードも築かれ、様子が一変している。
「ユッフィーさぁん、この落書きはぁ?」
「『MADCITY』。冗談でそう呼ばれもしますけど、このありさまではホントにマッドな街になってしまいましたの」
エルルちゃんが指差した壁の落書きを見て、苦笑いを浮かべるユッフィー。
すると。
「ヒャッハー♪ ユッフィーさぁん、わたしぃの名前を言ってみろぉ!」
「…エルル様?」
「ユッフィー担当の」エルルちゃんではない。
どこからか、唐突にエルルちゃんの声がして。とっさに答えを返すと。
「ピンポーン♪」
物陰から、へんなエルルちゃんが飛び出してきた。
肩当てにトゲ付きの革ジャンを着て、ワイルドな革のビスチェを合わせ、ダメージドジーンズをはいている。世紀末の香りがするエルルちゃん。
「あっ…」
思わず、声が出てしまう。
これはもしや、さっきやっつけたモヒカン頭担当のエルルちゃん?
だとしたら、済まないことをした。
本当に、地球人全員にもれなく配布されているんだ。エルルちゃん…!
「気にすることぉ、ないですよぉ!」
事情を見て知っている、ユッフィー担当のエルルちゃんが。腕に抱きついて元気付けてくれた。
「わたしぃ、ご主人様とはぐれちゃいましてぇ」
「さっきぃ、ゆっフィーの里の前で見かけましたよぉ。そのうち戻ってくると思いますぅ」
ユッフィー担当のエルルちゃんが、モヒカン頭の担当らしきエルルちゃんをサポートする。夜はまだ長いし、モヒカンの中の人が再び眠りについたら、その通りになるだろう。
(わたくしが送って行ったら。また、ご主人様と鉢合わせですわね)
ユッフィーとエルルは、夢渡りの冒険で旅仲間だった。いまは思い出せないけど、気遣いたくもなる。でもこの状況では、面倒の種でしかなくて。
「ありがとぉ!ぶるんぶるん♪」
バイクの音をマネながら、スーパー銭湯の方へ歩いて行く世紀末なエルルちゃんを見送った後。ユッフィーとエルルは、バリケードで入口がふさがれた大手ホームセンター横の道を歩いていく。
プレイヤー同士の戦いを望まないプレイヤーが、ヒュプノクラフトで拠点を構築して守りを固めているのだろう。信頼できる仲間同士で。
もうすぐ車道に出て、大きなパチンコホールがあって。市場の脇を抜けて、少し歩けば目的地のスーパーだ。DJPの散歩コースだし、地理には詳しい。
増えるエルルちゃんの謎
ご主人様と合流できた世紀末のエルルちゃんが、なぜかモヒカン頭から嫌な顔をされている。強盗たちから、足蹴にまでされている。何この扱い。
「ひっ、ひぃ〜でぇ〜!?」
それでも、懸命にリアクションで笑いを取る世紀末のエルルちゃん。
「あはは…って、またヘイトパワーが下がるぜエルルちゃんよぉ!」
「悲しいけど、攻略の邪魔なのよね」
心の癒しを取るか、戦闘力の強化を取るかの二者択一。
その様子を、天上から神の視点で見下ろす観測員リーフと姫将軍アリサ。
「地球人全員に付き添い、攻撃されても反撃せず、みなに笑顔を振りまく。まったく、とんだ聖人君子じゃよ」
「アウロラ様、女神の『後輩』ができたって喜んでましたね」
飛び抜けた慈愛と寛容の精神を持つエルルが、どこまで耐えられるか。
それとも今の彼女は、すでに人の限界を超えた存在なのか。
どちらにせよ。ドン・キホーテの想い姫もまた、別のドン・キホーテ。
「僕にも、責任の一端はあります。エルルさん、必ず助けに行きますから」
地球を見守る、フリズスキャルヴ。
その装置のある星は「永久凍結惑星」バルハリア。
多元宇宙の安寧を乱す、ガーデナーの脅威と戦う永遠の都「ヴェネローン」の本拠地にして、かつての厄災により季節も時も心も凍てついた悲しき星。
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