「泣けるからいいよね」に対する静かな反論。
こんにちは、カウンセラーのいのっちこと、青山いのです。
感情はしばしば、食べ物とうんこにたとえられます。
溜めすぎると体に悪いので、定期的に出さないと不健康になっちゃうよ~~、と。
でも、私は思うのです。
そんな簡単な話じゃないでしょ。
形があるものと無いものだからね、1日3食+間食、感情を摂取しているんですか?、していないですよね。
栄養バランス考えて摂取しないと、基礎代謝足りなくなるんでしたっけ、違いますよね、感情を摂取しなくても生きてけますよね。
とは言え、毎日なんだかんだ刺激があって、私たちは、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、しているのでしょう。「今日何があった?」と家族に聞かれて「別に」としか答えられないのと、「先週の金曜日何食べた?」が思い出せないのは似ているのかもしれませんね。
私は、どちらかと言うと、よく泣くタイプの人間だと思います。
泣き虫と言われると、否定できない事実なので、正直面白くありません。
(本当は、そんなわたしかわいいでしょ?って思えたらいいんだけども)
社会人1年目から同期とケンカしたり、先輩とケンカして泣いていた。
で、個別のフィードバック面談で上司から、「泣いたら負けだ、どうしても泣くならトイレで隠れて泣け」と言われて、そこから泣かないように気合を入れた。たまーに(上司の指示通り)トイレで泣いたこともあったっけ?
しかし、不本意に涙があふれてくる経験なんてない男の上司はわかっていないのだ。トイレはあくまで排泄するところであって、となりで誰かがうんこしているかもしれないところなわけで、そんな場所で気軽にすすり泣いたりはできないのだ。涙腺は制御できなくても、そういう冷静さが頭の中にはきちんと残っている。美容室で頭を洗ってもらう時でさえ、「私のあたま重くないかな?」なんて気を遣う人間なのだから。
すべては、感情と感覚であり、理屈じゃない。
意思でどうこうコントロールできるわけじゃないのよ。
しかしだ。
世の中には、まったく泣けない人もいるんだそうで。泣くことは、涙という形で感情を吐き出すことができるという点から、わたしのような泣き虫を「うらやましい」と思われる方もいるようだ。
発生しているはずの怒りも悲しみも外に全く出せない、その状態が続くのは、精神衛生上きっと好ましくない。(私がサイボーグのように働いていたときは、それに近かった)
ただね、そんなの底辺の話だと思うのですよ。
頑固な便秘がいいか、極度の下痢がいいかの違いでしかないと私は言いたい。
どっちも嫌でしょう。
電車で、会議で、彼とのデートで、突然下痢がやってきて、
一刻も早くトイレにいかなければならない状態に追い込まれる。
どこで漏らしても、いろんなものが終わるよね。
人生終了のお知らせ。
一言お伝えすると、「泣き虫だって、泣く場所選べませんから」ね。
私はね、泣いちゃいけないときもたくさん泣いてきた。
偉い人がたくさんいる大切な会議で、丁寧にやっていたはずの根回しを無視されたとき。
仕事の引継ぎで2年目の新人だからという理由で全く話を聞いてもらえなかったとき。
こんな仕事はできないしやりたくないと言い訳ばかりする同期にいい加減にしろと腹を立てたとき。長く担当したクライアントさんから「信頼していたのに、失望しました」と言われたとき。部の歓迎会に、自分だけ誘われていなかったとき。
若かったから、いつも全力でギリギリのマインドで仕事に取り組んでいたんでしょうね。
きっかけさえあれば、こころはずしっと重たくなって涙が出た。
(20代は基本的に毎日終電まで働いていて、0時より前に帰ることの方が少なかったし、余裕なかったんだろうな)
特に仕事関係。
会社で、「ここでは絶対に感情的になってはだめだ」と思って言い聞かせていても、自分の力不足なのか理不尽なのか、伝わらないこと、うまくいかないことが悔しくて悔しくて、続きを話そうとしても涙しか出てこなくて、私は言いたいことを言葉にできなくて、状況を打開できないまま、うつむくしかなかった。トイレにも行ったかもしれない。覚えていないけど。
仕事の引継ぎのときがひどかった。
社内で評価されて出世街道爆走中の若手の先輩。
私が話すことすべて頭ごなしに否定されて、話が嚙み合わないから思わず声を荒げてしまった。
”なんでちゃんと聞いてくれないの”
そう思うと同時に涙があふれてて、
「ビービー泣くな!仕事の邪魔だ」と怒鳴られた。
狭くないそのフロアで、怒鳴り声は響き渡って、パソコン越しにたくさんの人が私に視線を送った。
この続きは簡単だ。
こういう時は、泣いていない肩書きが上の人の言葉が「真実」として社内に伝わり、私は仕事の要件も正しく伝えられないすぐに泣く新人のレッテルが貼られる。次の日にたくさんの人が面白半分で出し物の内容を確認するように「なにがあったの?」声をかけてきた。中には心配してくれた人もいたけれど、そんな人でさえ、”肩書きのある彼の話がおかしい”とは思っていない。
私は、怒鳴られた後、オフィスから離れたビルの隙間のコインパーキングで、たばこ休憩中の作業着オヤジたちに怪しい目で見られながら、泣き続けた。1年目で上司に言われた「泣いたら負けだ」の意味を、あの時ほど深く感じたことはなかったと思う。
声を出して人目もはばからず泣きながら、「とりあえず、出しきらないと」と思っていた。感情を?いえいえ、違いますよ。私に不幸を呼び寄せる「涙」がもう会社の中で ”私の瞳から出ないように出し切る” ために、泣いたんです。泣かなくたって、次の日もうんざりするほどいじられるのに。
が、この話には続きがある。
そこから私は学んだ。
話の中身ではなく、誰が言ったかを重視するコミュニティケーションをとるタイプの人間がいること。その人間と話すときには必ずマネージャーに同席してもらった方がいいこと。そうしたら、恐ろしく物事がうまく進む。同じ内容をマネージャーが言うと、肩書きを信じる男たちは簡単に動く。こうして「偉い人を召喚する」技を覚えつつも、少しずつ私は組織というものが嫌いになっていった。
そうそう、その若手の出世頭は、長く付き合っていた彼女と結婚したが2年たたずスピード離婚したと人づてに聞いた。女性に対する態度が、たぶん家でも同じだったんじゃないかな、知らんけど。
仕事での「いらだち」「やるせなさ」は、本当にたくさんあった。
うまくいかないことが重なったある日。
お客さん先から駅までとぼとぼ歩きながら、どうして私ばっかり、と思っていた。
美味しいものでも食べて、元気を出そうと、スイーツを買うことにした。
ショーケースに並んでいた私の前に、いきなり年上の女性が割り込んできた。
なんで…どうして私ばっかり…
「並んでるんですけど」
と、言葉にした瞬間に泣いていた。
もう最大積載量近くまで感情がつもりにつもっていたわけで、ほんの1つの小さな小石でブーッブーッとアラームがなり響いた。
そしたらもう大変ですよね。
真っ昼間から、順番守られなかっただけで、いい大人が泣き出したわけですから。
「大丈夫ですよ、皆さん分ありますよ」
なんて、店員さんもよくわからないフォローしはじめて、
「落ち着いてください」
とかってなぐさめられて、スイーツで泣いちゃうクレイジーな女扱いされた。そういうんじゃないんです、って言ったかもしれないし、言ってないかもしれない。
もう細かくは覚えていない。
なんで泣いちゃうの、私、と自分をがんがんに責めた記憶だけがある。
泣いたらすっきりするわけでもないんですよ。
すっきりした隙間にすぐ別にねっとりした感情が入ってくるから。
ほらだって下痢だからね、TPO選べない。
別にね、恋人との別れ話でとか、ワールドカップやオリンピックで感動してならまだ「涙」は風情もあっていいでしょう。綺麗に演出しすぎなのよ。そんなキラキラしていません。
一人で1時間、2時間泣いたあとの顔をひどさ、みじめさ、その翌日に鏡で目の腫れを見た絶望、もう嫌になるよね。
以上、「泣けていいよね」に対する静かな反論でした。
“金曜の夜に映画見つつ思いっきり泣く”派の意見も聞いてみたい
最近は、ギリギリまでためこまないことと、ハラスメントっぽい人を避けて働くことで、泣きたくなる機会はぐっと減りました。また、泣くことが、必ずしも悪いことではないと、カウンセリングを通じて思うようになりました。
しかし、カウンセリング中にも、相手の悲しい過去に涙したりしちゃう。
(お前が先に泣くのかよ!とな)
泣きたいのをこらえてるあなたも、組織が嫌いなあなたも、いつも隠れて泣いているあなたも、カウンセラーとお話してみませんか。自分のこと、これまでと違った見方ができるかもしれませんよ。
10月下旬からモニター募集を始めます!
お楽しみに!(^^)!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?