Netflixの広告で思ったこと | デザインの科学⑤
先週だったかな?
渋谷駅のハチ公口をNetflixの広告が埋め尽くしていたのは。
テレビCMも流れているので、どんなものかは想像がつく人も多いと思うけど。
真っ黒の背景に、真っ赤なタイムラインがぐんぐん進んでいくやつ。
広告としてどうだったかの批評は置いといて、自分たちのストーリーを伝えられるって強いなと思いました。
ここで言うストーリーとは、Netflixが提供しているドラマや映画のことを指すのではなく、1サービスとしてどんな体験を届けてきたのか?のこと。
斜めな見方をしてしまうと、広告表現なので実際のところどうなのかは、あまり興味がないのだけど。
フィクションにしてもドキュメンタリーでも、自分たちのスタンスをストーリーとして共感されるものに仕上げる力が強いと思う。
インターネットサービスでこれをやっているのは、少なくとも日本ではまだない気がする。
ストーリーをつくるって、人類が昔からやってきたことの中でも、人から共感や賛同を集めるための最強の武器と言って良いのです。
原始的なことなんだけど、めちゃくちゃクリエイティブなことだったりするんですよ。
僕らがよく使う言葉に置き換えるなら、ブランディングに近いと言って良いかもしれない。
プロダクト、社会、組織、人、自分… 様々なものに価値を生み出すとき、マーケティング用語で言うところの便益がどうとか、ベネフィットとか、売り出すための材料を洗い出したりするけど、大事なことは「それらと世間をどんなふうに繋げることができるか?」になると思います。
それが、ビジュアルでもあるしキャッチコピーでもあるのだけど、原子レベルで言うならストーリーが接着剤になっているんですね。
「だから、私はこれを選ぶ」みたいな、インターネットサービスで、そういうプロダクトがないのは不思議だなと思っています。
物体として存在しないから?利便性のほうが重要だから?
そのサービスとしての使い勝手を抜きにしても、選ばれるものがつくれたら凄なと思う。
どうやったらそこに辿り着けるのか?
一つあるなと思うのは「この人たちならなんかやってくれそう」と思ってもらえること。
なんか毎回仕掛けて来る感じ。とか、巻き返してきそう。とか、
サービスの作り手のすらサービスのイメージになっていること。
だから真摯にものづくりに向き合うのって大事なだと思うんです。
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