少し不思議な話、再び~中島たい子著『万次郎茶屋』~

以前の拙稿で、中島たい子著『おふるなボクたち』(光文社文庫)を採り上げた。
その際、マンガ家の故・藤子・F・不二雄先生が自身のSF作品を「サイエンス・フィクションではなく、少し不思議な話」と称しているとして、「おふるなボクたち」は小説版のそれである、と書いた。
さらに、その中の「踊るスタジアム」という短編が、コロナ禍でのオリンピック開催可否に揺れる2021年の日本を想起させるとも書いた。

そこで今度は同著者による短編集『万次郎茶屋』(光文社文庫、2021年。以下、本作)である。

本作もSFっぽい設定の「少し不思議な話」である短編6本が収められているのだが、最初に収められた「親友」(初出・『SF宝石』2015年8月号)が、またしてもコロナ禍を予言していたかのような話なのでビックリした。

いまからどのくらい先のことだろう。
『西暦(AD)が廃止されることが決まって、それに代わって始まる地球歴(AT)元年まで、残すところあと一ヶ月となった』時代の話。
何故、地球全体で西暦を廃止しようという話になったのか?

「……なんか、へんな石が、空から落ちてきたから」
(略)
「正確には石じゃないけどね。墓石みたいな、あるものが落ちてきた。宇宙を旅してきたそれは、遠いところに存在した文明から送られてきたメッセージだった。と、わかるまでは少し時間がかかったけど」
(※太字部、原文では傍点)

そのメッセージは、どこかの文明の遺言であり、同時に地球人に対する警告だった。

「宇宙のどこかの星に存在していた彼らも、同じように文明を築いて、戦争をくり返して、自然破壊をし尽くして、天候がおかしくなって、最後は滅びることになった、と遺言でせっかく教えてくれたんだから」

しかし、どこかの文明は地球人を買い被り過ぎていた。
何とかメッセージを解読できた地球人は、その警告に慌てたのだが、世界中の叡智を集めて出した答えが、『ここで思いきって価値観を変えて、出直すべきではないか?』『リセットする意味で、長いこと使ってきた『西暦』というものを終わらせて、新しい暦名で文字どおり一(イチ)から始めるというのは?』という拍子抜けしたものだった。
つまり「心機一転して乗り切ろう」ということだが、この全世界一斉の暦名変更が「心機一転」どころか「ただのお祭り騒ぎ」にしかならないのは、つい先ごろ元号が変わった我が日本の状況を思い出すまでもないことである。

しかし、どこかの文明は完全に滅びたわけではなかった。それどころか、親切心から地球人に警告をしてくれたわけでもなかった。

どこかの文明は、思いも寄らない地球人の能天気な盛り上がりに幻滅した。

「だって、メッセージを信じたわりには危機感を持たないし、やっと動いたと思ったら、暦を変えただけで、意味わからん、と」

で、地球人を制裁することにした。
暦が変わる直前、カウントダウンに盛り上がろうとしていた地球人たちが急に、もがき苦しみ始めた。

「……人類が何に弱いかを、データベースを使って調べさせてもらった」
「何に弱いか……」
ハッとして、ぼくは端末を取ると彩花にかけた。先ほどよりも憔悴した声で彼女が出た。
「……これから、病院に行くとこ。すごく気持ち悪くて(略)」
(略)
「……まさか……なにか凶悪な、ウィルスを……!」

先にも書いた通り、この物語は2015年に発表されたものであるが、2021年の今読むと、本当に警告に真摯な回答を導けなかった地球人に対する「どこかの文明」の制裁なのではないかと、身震いしてしまうのである。


さて、『おふるなボクたち』と同様、本書もそれぞれが独立した短編であるのだが、順を追って読み進めていくと、最終話の「私を変えた男」にアッと驚くことになる。

両作ともSFである上、構成がものすごく上手いのだが、中島たい子自身はSF作家ではない、と思う。
なにせ、私が初めて読んだのは、『漢方小説』(集英社文庫)という文字通り漢方医学を題材にした小説だったし、その後も都内の七福神を巡る『ぐるぐる七福神』(幻冬舎文庫)も読んだ。また、私は未読だが、本書の帯によると、彼女の2021年の最新単行本のタイトルは『かきあげ家族』(光文社)らしいのだから。
とは言え、本書で発揮されるような物語の構成は、『院内カフェ』(朝日文庫)なども含め、やっぱり上手いなぁ(というか、彼女の趣味かもしれないが)と思っているのである。




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