これは2004年に出版された『41歳からの哲学』(新潮社)に書かれた一節です。著者は、哲学者の池田晶子さん。
私自身は「死」がどういうものであるのかまったくわからないので、そういう私が「わかりやすい道徳心」などを振りかざして「自殺はいけない」とか言っても、「上っ面だけの聞こえの良い言葉、ただの自己満足」としか思えないし、そんな言葉が自殺したいと思い詰めている人に響くなんて到底思えません。
だから、池田さんの著書を引用してみました。
「"死んで楽になった"と思う(無であるところの)死人は存在し得るか」といった哲学的問いを思考していると気がまぎれるかもしれません。でもきっと、「死にたい」と強く思い詰めている人は思考するだけの心の余裕がないことでしょう。
だけど、そういう人でも、哲学ではなく「一般的な事実」として、これだけは思い出してほしいのです。
この20世紀以降の「科学至上文明」下で科学がこれだけ進歩している現在においても、「"死ねば楽になる"と(科学的に)証明されていない」し、また、これまで何億人もの方が亡くなったにもかかわらず、「"死んで楽になった"と(科学的に)認められた人は一人もいない」のです。
死なんとする人、待たれよ、しばし。
「じっさい、死んで楽になる保証など、どこにもない」のです。