小津映画での戦後の描かれ方の内田樹の疑問と大林監督の見解

2020年4月10日、大林宣彦氏が亡くなられた。

その追悼番組として、同4月16日にNHK BS1で大林氏(ご本人は「映画作家」と名のっているため、あえて「監督」とは書かない)が出演された『最後の講義』が再放送された(初回放送は2018年3月とのこと)。

それを見て、ふと、内田樹著『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版)に「小津安二郎の写真から」という寄稿が所収されていたのを思い出した(初出 小津安二郎と兵隊(『小津安二郎 大全』松浦莞二・宮本明子編著 朝日新聞出版 2019年))。

「彼岸花」(1958年)には、芦ノ湖の湖畔で、妻(田中絹代)が空襲の時、防空壕で一家4人がひしと抱き合っていた日々を回想して、「戦争は厭だったけれど、時々あの時のことがふッと懐かしくなることがあるの」というと、平山(佐分利信)は「俺はあの時分が一番厭だった。物はないし、つまらん奴が威張ってるし」と吐き捨てるように応じる場面がある。
「秋刀魚の味」(1962年)では駆逐艦の艦長だった平山(笠智衆)が、かつての部下であった坂本(加東大介)と語り合う。坂本が酔余の勢いで、「けど艦長、これがもし日本が勝ってたら、どうなってますかね?」と、日本軍がニューヨークを占領するという夢物語を語り出す。平山はそれを静かに制して「けど、敗けてよかったじゃないか」とつぶやく。意外な答えに一瞬戸惑った後、坂本も「そうですかね。-うーむ、そうかも知れねえな、バカな野郎が威張らなくなっただけでもね」と同意する。
 いずれも「戦争の時は、それなりに楽しいこともあった」という述懐に「戦争は二度とごめんだ」という言葉がかぶせられて対話は終わる。 (略)
 このやりとりのうち、私たち戦後世代にうまく理解できないのは「戦争の時は、それなりに楽しいこともあった」というタイプの言明である。(略)おそらく戦争を現実に経験した人は、戦争のうちにある種の「人間的なもの」があり、心温まる思い出として回想できるような出来事もあったと思うことがあるのだろう。実際にそう思ったのかも知れないし、記憶を改竄でもしなければ辛すぎて耐えられなかったのかも知れない。そのあたりのことは分からない。

内田樹著『生きづらさについて考える』 P16-17 「小津安二郎の写真から」


『最後の講義』という番組で大林氏は、内田氏と同じ映画の同じシーンを持ち出しており、それが内田氏の疑問への回答となっている。
(2020年5月5日配信の『東洋経済オンライン』に「大林宣彦が小津安二郎に見ていた映画人の凄み」という、この番組を書籍化した『最後の講義 完全版 大林宣彦』(主婦の友社)からの抜粋記事が掲載されていたので、今回はそれを引用)

『秋刀魚の味』では加東さんが「もし日本が勝っていたら……」という話を持ちかけて、笠智衆さんがこう答えます。
「けど、負けてよかったんじゃないか」
 それに対して加東さんは「確かにバカな上官が威張らなくなっただけでもよかった」と同意します。
(略)
『秋刀魚の味』より少し前に撮られた『彼岸花』では、佐分利信さんと田中絹代さんが長年連れ添ってきた夫婦を演じていて、田中絹代さんが「あの頃は幸せでした」と話します。
(略)
 この映画は私も映画館で観ましたが、映画館ではヤジが飛びました。
(略)
「戦争中がよかったなんていうノスタルジーの映画をつくっているようでは小津はもうダメだ。映画をつくるのなんてやめちまえ!」
 そんなヤジが飛んでいたことを今でもよく覚えています。
 しかし小津さんは、戦争中はよかったなどということが言いたかったわけではなく、戦争が何をもたらしたかを描こうとしたのです。

戦争が終わって日本人は幸せになりましたか? 家族がバラバラになって、老いても子どもや孫と暮らせないように寂しくなったのではないですか? 平和になったといっても、家族はバラバラになっている。これが本当に私たち日本人が求めた幸せなんでしょうか?”というメッセージです。

『東洋経済オンライン』 2020年5月5日配信 「大林宣彦が小津安二郎に見ていた映画人の凄み」。(※太字、引用者)

つまり、小津監督は「戦時中そのものへの言及」ではなく「戦後の日本人の在り様への批判」をしているのである。
そして、小津監督のメッセージは、21世紀になってなお、我々への強烈な問いかけになっている。

(2020/03/02 改訂)


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