信長公は歴史上稀に見る天才。大天才。
例え、信玄公が長生きしたとしても、信長公に勝てはしなかった見るのが妥当であろう。
三方ヶ原の戦いでは信長公は援軍を出しただけで、本人は参戦していないし、信玄公がそのまま京都に向かって西に進んだとしても、兵站を断たれ苦しんだであろう。
これが所謂、『兵站が伸び切る』ということでしょう。
長篠の戦いではもう戦う前に勝敗は決まっていた。
織田軍に武田の領内に『鉛』が入らないように、『経済封鎖』をされ、武田軍が侵入するルートは3箇所しかなかったので、先に馬防柵を建設し、馬防柵から射撃して、一網打尽になった。
武田勝頼は決して暗愚ではないと思う。
織田信長が余りにも天才過ぎただけ。
信玄公は婚姻関係にあった今川家を攻め、駿河侵攻を果たしたが、結果として織田と領地を隣接する事になってしまった。
やっぱり、戦国の世の中でも『人の道』に反する生き方をするべきではないと思った。
武田信虎(信玄公の父)が子供より長生きしたのは最大の皮肉であろう。