誰かが願って止まない日々の上、私はこうして惰眠をほおばる
右手も左手も綺麗に切り揃えられていた爪。だけど足の爪は長いまま。
椅子生活なのであまり床に座ることがなくて腰の痛みに違和感を覚えながら身体を曲げて足の爪を切る精神コストは非常に高い。
365日、毎日毎日Macbook ProとiMacとiPadに向き合い続けた。
おかげさまで首だけが前に出てしまった気がする。
おかげさまで出っ歯になった気もする。
むにゃむにゃ戯言を言いながら発表することのなかった論文を書いたり。首の痛みに限界を覚えながらもやめられなくて、黒い背景に浮かぶプログラムと戦い続けたり、時にイラレやFigmaを使って必死にデザインをしたりした。
ガムシャラとはまさに私のような生活を指すのだろうと。
どこか他人事のように忙しない毎日をこなしながら思った。
そんな365日だった。
暮れては明けて、また暮れる
あなたは、どんな日々だっただろう。
私は近頃、文章を読んでいない。
あの頃、貪るように読んでいたnoteも滅多に開かず。
習慣だった論文すらもほとんど読んでいない。
本に触れない日なんて考えられなかったはずなのに。
罪悪感をかき消すようにGoogleがおすすめするニュースのみ読んでいる。
生成AIの研究内容(要約)やセキュリテイ問題といったニュースばかり読んでいる。小説なんてもってのほか、最後に小説を読んだのはいつだろう。
働いて研究して生活をして寝る。生活をして研究をして働いて寝る。
この繰り返しは私をどんなすごい場所に連れて行ってくれるのだろう。
単調な生活は美しい。でも、そんな単調さを私の日々は持ち合わせない。
毎月、飛行機や新幹線に乗り。
頭を下げて依頼をし。
空いた時間はパソコンと睨み合う。
帰ってくる場所があり、待ってくれる人がいても
なんだか私は浮いているよう。
地に足が着いた生活を、と考えていた頃。
その達成要件は金銭的余裕だった。
しかし、金銭的余裕があったところで、土台のない人間であれば、地に足は着かない。
というか、着ける地がない。
新たな年になって、いざ去年の振り返りを書こうと思っても。
大して何も覚えていない。
あーーいやだな、こんなつまらない機械みたいな思考は。
そう思っても、抜け出せないような気さえする。
こんな時こそバカになってみよう。
もうずっとずっと、合理的にばかり生きていた。
感動も絶望も悔しさもない。
感情の起伏のない、安定?した生活。
一見すると、恵まれた生活。
そう。
とてつもなく恵まれた生活。
誰かが願って止まない生活の上で私は惰眠をほおばる
いつか願った力強さはどこにあるのか。
かつて愛した言葉たちはどこに身を隠したのか。
かき集めた宝物はいつからガラクタに思えていたのか。
そうして今日も、見てくれだけを気にして手の爪だけを切った。
私の惰眠はどうやらタチが悪い。
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