人生を手入れしなくなった僕に向けて
”このままじゃだめだ”
そんな気持ちに襲われる
でも、今感じている「このままじゃだめだ」は、今まで感じてきたそれとはなんだか質が違うように思う。フィルムが焼かれていくような、じわじわと迫り来る焦りや不安、そういったものじゃなくて。もっとまろやかな「このままじゃだめだ」がお腹の底の方にある。
やる気が出ないことを言い訳に、たくさんのことを先延ばしにした
無理に笑顔を貼り付けた
「きみは〜〜だよね」に辟易として笑って誤魔化し続けた
言葉を大事に扱わなかった
ゆっくり触れて、なでて、握って感触を楽しまなくなった
手が荒れていることを無視し続けた
姿勢の乱れや、歩く時の違和感を無視し続けた
髪の毛を長い間切らなかった
着たい服を着ずに、自分自身を見窄らしく彩った
破れた服をそのまま着続けた
こうあるべきだろう、この方が面白いだろうというキャラクターに合わせて自分の像を作り上げた
全ての行動は人のためであるという大きく見える大義名分を持ってして、自分自身の声を聞かなかった
人との関わりを積極的に絶った、つながりを徐々に消していった
その場その場に必要なものだけでお部屋を作った
食べることが億劫なのにお腹が空くことに苛立って、安価な食べ物でお腹を満たした
感謝することがなくなった
実感が消えた
随分と汚れているApple Watchのバンドを洗わなかった
部屋に落ちている埃を見て見ぬ振りした
今のキッチンが好きではないことを、無視しつづけた
話しかけたい人に話しかけれなくなった
過去の栄光に囚われて現在が見えなくなった
お風呂場の汚れを掃除しなかった
洗面所を毎日拭くためのウェットティッシュがないことに気づいていながら買い物に行くのがめんどくさくて放置していた
お金の管理をずさんにした
自分の時間を確保するようなスケジュール管理をしなかった
もやもやする気持ちを隠すために甘いものを貪った
毎日ベッドメイキングをしなかった
料理をしなくなった
お部屋の掃除の頻度が減った
ジムに行かなくなった
壁に飾るための絵がほったらかしになっていた
靴を新調し忘れていた
音楽を楽しめなくなった
日々感じていた匂いを感じ取れなくなった
自分自身をできるだけ突き落としたくて、自分に冷たい言葉をたくさん吐いた
自分に冷たくなればなるほど、人に対しても冷たい言葉を吐いてしまった
冷たい言葉を吐いた自分に対して冷たい言葉を吐いた
人の希望を喜べなかった。応援よりも心配を優先してしまった
考えることが辛いことだと思ってしまった
大切な人たちに褒められた部分を大切にできなくなった
美しさではなく、惨めさや見窄らしさばかりに焦点を当ててしまっていた
あらゆるメンテナンスを怠った
書けば書くほど、普段の自分を構成するたくさんの「しくじり」が溢れてくる。日々しくじっている人間は、大きな場でも確実にしくじる。というより、大きな場でしくじる人間というのは、間違いなく普段からしくじっている。これはオードリー若林さんが言っていた。
今、連ねたしくじりだけでもすごい数だが、本当はこんなものではないだろうと思っている。自分はもっとしくじっている。
いまの僕を、客観的に並べ立ててみて、どうして自分を好きでいれるだろう。自分を好きでいる必要なんてない、突き放していく、惨めな場所に落とし込んで、そこから這い出るための微熱が好きで、上を見る瞬間に飢えていた過去の僕は、年齢を重ねるごとに鳴りを潜めていった。
以前みたいに、無理はできなくなった
だからこそ、そろそろ削ぎ落としていかないといけない。
削ぎ落として、身を軽くして、洗練させる。
そういうステージに入っていると感じた。
人生を暮らしのレベルにまで落として。
「どんな人生を生きたいか」ではなく、
「どんな暮らしを紡いでいきたいか」に変える
その時に、削ぎ落とすべき時間、大事にすべき時間がたくさん見えてくる。
僕にとっての外せない価値観、最も重要な基軸、コア、マントルのようなぐつぐつ燃えるエネルギー。
それは”美しさ”にある。
僕はずっと”美しさ”に囚われている。
”美しい”ということを僕はきっと知ってしまっている。
だから、”美しくない現状”に対して魂が負荷を感じている、抗おうとしている。そのエネルギー同士のぶつかり合いがものすごくしんどい。
美しいことは、流れがあること
川や海、風みたいに。
緩やかに、暖かく、時に激しく、冷たく。
そんなおっっっっっきな流れ。
その流れの中で1つの部分として生きていきたい。
料理をすることが好きだ。
好きなキッチンで、好きな具材を用いて、時間を気にすることなくゆっくりとご飯を作る。ラジオなんかを聴きながらゆっくりと。
ドリンクを作ることが好きだ
丁寧にお豆と調子を相談しながら最高に飲みやすい、質感のある珈琲を淹れるのが好きだ。家にエスプレッソマシンがあれば、ラテだって作りたい。その日の気分に合わせて作るドリンクはその日を彩る
本が好きだ
小説や雑誌はもちろん、学術的な専門書も技術書も好きだ。知識を得ることは呼吸することに似てる。吸ったら、ちゃんと吐き出す。その循環を大切にしたい
人と会って、ご飯を食べて、お酒を飲むのが好きだ
僕の終活はそろそろ終わりを迎えるらしい。やっぱり人と話すのが好きだ。でも、人と会うと自分が消えてしまいそうに感じるのは、自分自身が確立できていないからだ。自分の確立は、立派になることでも夢を叶えることでも稼ぐことでもなくて、もっっっっっっと簡単なことから始まる。何がスキで、何がキライで、何を愛しているか。これに尽きる。
組み立てることと手入れすることが好きだ
お部屋だったりキッチンだったり、組織だったり事業だったり、思考だったり、論理だったり。あらゆるものを組み立てて、それらを手入れし続けることが好きだ。今の僕には手入れが欠けていた。
統一されたけどふわっとラフな服装が好きだ
なんだか言葉にしづらいが、スタイルではなく、生き方から滲み出るような統一感、だけど力が抜けているようなラフさを併せ持つことはこの世の中で最もお洒落なことであると思う。そういう人になりたい。
いろーーーんな匂い、音を味わうことが好きだ
匂いも音も立体的だ。奥行きとか幅があって、絡まり合って空間を作ってるように思える。それらを無視していたくはない。せっかくこの魂に与えられた身体だから、身体が味わえる愉しみを最大限に受け入れていたい。
自然が好きだ。いろんなものを見て感じたい
小さな頃の記憶はいつも山や海の中にいる。それだけ自然と触れ合わせてくれた両親には感謝しかない。海の中にいる時の揺蕩う感覚や、自分が大いなる何かの一部である感覚、この流れはどうにもできないという無力感、安心感。そんなものを忘れずにいたい。
カフェが好きだ
やっぱりどこまでもカフェという概念?に惚れ込んでいるらしい。どれだけお金がなくなっても、普段のご飯に困っても、カフェに行くお金だけはしぶりたくない。
新しいことを知り、整理して、伝えることが好きだ
心の至る所に、「伝えたい」「考えてるビジョンをわかってほしい」という欲求がある。承認されることとは全く違う、聞いてほしいとも違う、対話に対する絶望的なまでの執念がある。今まではそれを誰に対しても求めていたし、伝える工夫をしてこなかった。数人はわかってくれる人はいたが、その数人で満足してしまうのではなく、たくさんの人に伝えたいな、意見が欲しいな、対話したいなと思うようになった。だから整理して綺麗にして、伝える事をやめたくはないと思う。
街が好きだ
歩くという行為がやめられない。この建物にはきっと、こういう家族が住んでいて、普段はお子様の送り迎えのために朝早くからお母さんがこの自転車に乗って〜みたいな妄想をして、頭の中で都市を作り上げていくのが楽しい。頭の中で作った美しい都市を、現実に実装できるような、影響力を持ちたいと思った。
きっと描こうと思えば、まだまだまだまだある。
でもこれらが軸であることは間違いない。
今まで僕が、散逸にしてきた道筋は間違ってなどいなかった。ただ、見てあげられていなかった。
これからは僕がずっと僕自身を見ていたいと思う。
美しい日々を歩いていきたいなあ
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BOOKOFFで110円の文庫本を買います。残りは、他のクリエイターさんを支えたいです