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誰も知らない、世界を救ったアイツの話

もし本当に「言葉が世界を救う」なら、アンパンマンは生まれなかったし、「いじめ、ダメ、絶対」の広告だけで子供たちの自殺は減るはずだった。残念ながら、言葉の力は限定的だ。

ある夜、お気に入りのラジオ番組が始まるのを待っていると、流れたのは女性アナウンサーの声だった。神妙な面持ちが伝わる声で、アナウンサーは2回、こう読み上げた。

「この地震により日本の沿岸では若干の海面変動があるかもしれませんが、被害の心配はありません。この地震により日本の沿岸では……」

一度目はただ聞き流し、二度目に情報を届ける人たちの優しさに気づき、胸が暖かくなった。

言葉の力は限定的だと言ったが、”あえて特定の言葉を使わない”ことで発揮される言葉の力があることに気づく。たった2文字を言わないだけの優しさは、ラジオを聴く、苦しみを胸に抱えた人々の世界を間違いなく救ったんだと思った。

同時に僕の脳裏をよぎったのは、大学1年生の4月に同じ様に世界を救ったアイツだった。アイツがあの日、世界を救ったことは隣に座っていた僕しか知らない。なぜかこの記憶だけは忘れられない。


大学一年生の4月

四日目で退学を希望し、周囲から強烈に否定された僕。自分はこいつらとは違う、という肥大化した自意識は酷く惨めだった。そんな行く当てのない自意識をあらゆるところで発散していた。大講義を最前列で受けることもそのうちの1つだった。

大学生にとって、大講義においてどの位置に座るか問題は、大学という広く狭いコミュニティに入って失われた、中高時代の「空気感」の代替物だ。後ろの方に座るイケてるやつら、その前に座るキャピキャピした女の子たち。前方の両端に座るのはだいたい一匹狼で自分だけの空気感を持っている人たち。はっきり口に出さずとも大体がそう思っていた。

そういうカテゴリー分けが一番嫌いだった僕は、いつも教授の目の前に座り、授業を真面目に聴いているフリをする。前に座ることは真面目であることを意味しない、これは周囲へのアピールだ。僕は異質だと言う存在をアピールするためのイタイ行動だ。

イタイ僕の話はそこそこにして、アイツの話をしよう。

アイツはいつもメガネで、寝癖がついていて、基本的に服装のどこかに青色が入っているやつだった。大学生なのに、英字が描かれたシャツを着ている人間を見たのもアイツが初めてだった。そんな外見の割に、とんでもないパンチラインを放ち、周囲からすぐにイジられ、ノせられるアイツはすぐに、「面白い変人」として学部の有名人になった。


あれは入学して10日くらい経った日、ある科目のオリエンテーションが行われていた。イタイ僕と、変人のアイツは300人が収容可能な大講義室の一番前に座っていた。言い忘れていたが僕らは心理学を学ぶ。なので、もちろんオリエンテーションでもうつ病やトラウマ、その他精神の病気について教授は説明を加えた。

講義開始から30分ほどが経過し、生徒たちが面白くない顔をしているのを察知したのだろうか、教授が自分の出身地について語り始めた。

「僕の出身地はね○○なんだよ...、みんなの中にも同じ生まれの人いる?あ、結構多いね!ちなみにどこらへん?」

みたいな感じで、自分の出身地から生徒たちの出身の話になり、他府県からもたくさん学生が集まっているんだよ、なんて言ってた。関西、中国、九州、北海道...。それぞれの地方にコメントを残しながら、関東地方を残し、東北地方の話が来た。

そこで、教授は驚くべきことに、東北地方から来た学生へのコメントとして2011年に起こった出来事を選んだ。

僕は内心すごくざわついていた。おいおいまじかよ、この教授さっき自分自身でトラウマやフラッシュバックについて話しておきながら、東北に関して地震の話を持ち出すのかよ。こんなに東北地方出身の学生がいる中で、あえてその出来事を選んで、もしフラッシュバックとかで苦しむ学生がいたら...。

そう考えると、僕は落ち着かなかった。だけど、イタイ僕はここでも見栄を気にする。当時の僕に、教授の話を遮って手をあげたり、誰か辛い思いをしていないか、後ろを振り向く勇気はない。最前列に座ると言うことは、つまり肩越しに全ての視線を浴びていることと同義だから。そんな勇気はなかった。

でもどこかで思っていた。まぁ大丈夫だろうって。もうあの出来事からも何年も経ってるし、流石に言葉だけで思い返してしまう人はいないだろう、いたとしても少なくともここにはいないだろう。って僕はいつも通り言い訳を探す。今の位置から動かず、怖い部分を避けて通ろうとする。やっぱり僕はヒーローにはなれない。そう逃げようとした矢先、

「ロケットとか!」

大声で手をあげながら、そう言った。隣に座るアイツが。一瞬世界が枯れてしまったかの様に、静止する。僕も意味がわからない表情でアイツを見つめる。いやいやJAXAのある筑波は関東地方やん。こいつはなにを言っているんだろう。僕だけじゃなくて、300人全員がそう思った。教授も。

すぐに教授が、少し笑いながら、つられてJAXAの話をし始め、それは関東地方だよとか、関東といえば○○出身の人もいる?みたいな話をし始めた。

隣に座っているアイツが意味のわからない発言をしたので、その友達である僕はすこし焦りながら、もう一度アイツを見た。いつも通り死んだ魚の様な目をしていた。なに一つ表情は変わってなかった。


授業終わり廊下を歩いている時に、どうしてもさっきの発言の意図を聞きたくて、一人黙々と歩くアイツの横に並び、話しかける。

「なぁ、さっきのロケットって言ってたやつ。あれなんやったん(笑)」

「え、別に大して話すことでもないし...。ってか普通に気づいてるやろ?」

アイツにそう返された僕は、正面から冷水をかけられた様に、はっと打たれ歩みを止めてしまった。

「もしかして...話そらそうとしたん?」

そう聞くとアイツは、まぁそんな感じかな〜なんて腑抜けた返事をしてお昼ご飯なに食べるか聞いてきた。

僕は正直、「やられた...!」と思った。僕ができなかったことをアイツがやってのけた。それをアイツは自慢することもなく、カッコつけることもなく、ただただ当たり前のことをしたかのように、何も気にしていない。自分が変なやつと思われたり、自分に視線が集まることなど意にも介さず、アイツはただ自分の信じる優しさ・気配り・配慮の心を貫いて、高らかに宣戦布告をした。


僕にとってアイツは紛れもなくヒーローだ。
たった2文字でも、過去の出来事を思い出して苦しむ人がいる。そのことを瞬時に理解し、身を挺して声を上げた。そうして、「知らない誰か」が苦しむ未来を回避した。アイツがしたことはその人たちにとっての世界を救ったことであり、ヒーローと寸分も違わない。

いつまで経っても色褪せないアイツの勇姿は、僕だけが知るにはもったいない。アイツほど漢気に溢れた人間を僕は知らない。

アイツみたいな人間がいるから、言葉の力をまだ信じてみたいと思える。

伝える力も、あえて伝えない力も。どちらも言葉の力だって、行動からアイツに教わった。




表現者たちのエッセイ展覧会と言う企画に「何故か覚えている記憶」というテーマで書かせていただきました。

エッセイってなんだろうと考えて気づいたらモンテーニュについて調べ始めるくらい、エッセイとは何かよくわかっていない不束者ですが。全く関係ないですけど、「なぜ」を「何故」って書くのいいですよね。僕は「何故」が好きです。

何故か覚えている記憶というテーマは難しかった。意識の表層に頻繁に出てくることはないけど、確かにそこに存在していて、ことあるごとに紐づけられて思い出す。そんな記憶なのかなって思いました。おばあちゃん家の前の段差とか、田舎の首輪のない柴犬とか、入院してた頃に僕のゲーム機を勝手に触ってた子とか。


企画してくださった、(あまり声を大にしては言えないから少し隠すけど)同じリ○ルトゥースである木の実ひよこさんに感謝です。応援してます!


ぴーす

提出したタイトルどんなのにしたか忘れちゃった

BOOKOFFで110円の文庫本を買います。残りは、他のクリエイターさんを支えたいです