家族なんて面倒で気が合わなくて、それでもやっぱり家族なんだよな
私には兄と妹がいる。つまり3人兄妹だ。
それぞれに容姿も性格もまったく似ていない。
私は兄のことを気弱でちょっと思慮深さに欠けるところがあるけれど、心根の優しい人だと思っている。
末っ子の妹はもっとも激しい反抗期を経て、今や兄妹でもっとも良識と分別をわきまえた大人になった。愛情深くて、母親に似て涙もろい。
兄は私のことをおそらく苦手に思っていて(兄妹でなければまずお互いに関わらないタイプだ)、妹は私を元気な躁鬱だと思っているし、実際にそう言う(元気な躁鬱ってなんなんだ)。
そんな私たちも、今年で上から32、30、28歳になる。
最近になって、兄妹がいるということについて考えることが増えた。
それというのも、親が歳をとったからだと思う。
還暦のお祝いをどうするかとか、母の日に何を贈るかとか、定年退職して暇をしている父に誰か連絡を入れろだとか、その手のやり取りを3人ですることが増えた。
私たちは3人で会うことはほぼないけれど、2人ずつで会うことはしばしばある。(私と兄が2人で会うことはまずないから、基本的に妹が兄か私と会っている)
そうしたなかで気づいたことがある。
それは、兄妹がそれぞれに持つ「両親に関する情報」が驚くほど違うということだ。
おそらく両親は子どもたちの特性ごとに、ほとんど無意識に異なるコミュニケーションを取ってきたのだと思う。
考えれば当たり前のことなのだけれど、いくら家族とはいえ異なる人間なのだから相性もあればそれぞれに距離感も違う。
この人にこの話はできるけど、この人にはできない、みたいなコミュニケーションの分散が家族内で自然と行われてきたのだ。
父も母も私に言えないことは妹や兄に言うだろうし、その逆ももちろんあるわけだ。また、兄妹間でもそれは起こる。
以前、事情があって妹の家に文字通り厄介になっていた時期がある。妹が留守の間に私は妹宛の父からの手紙を見つけた。
そこには、このような内容が綴られていた。
仕事で忙しかった父は子育てにほとんど関われず、ようやく仕事を終えたと思ったら子どもたちはすっかり大人になってみんな家を出て行ってしまったこと。それがとても寂しく、自分の人生で何よりもそれを悔いていること。
どうやら妹の誕生日祝いを兼ねての手紙だったようだが、私はそれを読むまで父のそんな想いなど知らなかった。
父との距離でいえば、昔から私より妹のほうがずっと近かった。また、兄と父では男同士だからこその微妙な距離感もあっただろう。
妹がいたからこそ(あるいは勝手に他人の手紙を読んだから)私は父の心情を覗くことができた。妹にも父にももちろん言わないが、私は父の気持ちを知ることができてよかったと思う。
10代の頃は、兄妹がいるとはなんと面倒なことだろうと思っていた。いつも早く家を出て一人になりたいと思っていた。
しかしながらある程度大人になると兄妹というのはやはりかけがえのないものだ。同じ血が流れているから、なんて難しいことが理由ではなく、やはり同じ家族を共有してきたからなのだと思う。
乗り物だって大きくなるほどにたくさんの車輪が必要だ。家族も似たようなものなのかもしれない。
お互いに文句を言いながらも、それでもやっぱり家族のためならば時に重い荷物だって引き受けていけるのだ。