始まりもしない生き方をしている
やりたいことをやって、成功するひとが羨ましい。
そう言ってずっと何もしないまま終わるのがわたしだとしたら、どうしようもない屑だ。
オタクの脳内は忙しい。
あっちにこっちにやりたいことや得たいのもが多すぎる、『自己脳内完結型の贅沢者』。『贅沢者』と言っても万年お財布は赤字。
「ガチでやってらんねー。」・・・なんて言いつつも推し(自分が好きなことをしてる時も含め)を見ているだけでそんなこと一瞬で忘れてしまう。間抜けな生き物。
だけど、長年のそれで私は無敵なくらい現実逃避が上手くなっていた。
ある意味便利な能力なのです!
私はいまニート・・・ではない、一応『主婦』だ。
とはいえ、うつの治療は続いているし日常生活ですらままならないこともあって、夫にあれこれサポートされながらなんとか生きている。
情けないと思う。頑張って働いている夫が帰宅しても晩御飯すら作ってあげられない。「なんのために私は生きているのかな?」なんてよく考える。死にたくもなる。
それでもなぜ、平気なふりして存在できるのかしらね。自分でももうわからないし、普通の生き方ができないことなんかとっくの昔からわかりきっていて・・・
言っていて何もかもわからない。まとまらない。なのになんとなく吐き出したくなった。
発信をしないことには誰も私を認知してくれない。
SNS上での友人に恵まれている。
リアルでの友人もごく僅かにいて、皆支えになっている。
『贅沢者』、だろうか。
だけど自発的な交流は苦手。誰かのオマケ。昔からそう。いつもそう。
超絶後ろ向きだなぁと思う。自分の強みが見当たらない。面白いところもない。いつも無個性でつまらない存在だと思い知らされながらここまで生きてきた。
ここまでの人生におけるファインプレーなんてなかった。
社会に出てそれなりに働いていたこともありますけれども。繊細さを拗らせて、人の顔色伺うが行動は9割失敗。仕事はある程度出来ても器用貧乏。個性を殺してそのせいで息苦しくなって自己崩壊して、3年も続かない。石の上にすら居られない。期待されたり頼られても、「こんな私を頼ろうとする人のほうがおかしいよ。」だなんて距離を置く。数々のチャンスすら自分でへし折って捨てた。期待に対する責任が物凄く怖い。余計なことは言わない方がいい、無個性がいちばんいい。だけどそのせいでコミュニティに入れずに寂しい、苦しい。気にしないでいられたらよかった?・・・でも優しい人に気を遣われるからやっぱ居られない。優しい人は私なんかに労力をかけてはいけない。気にかけてもらえたとしてもわたしはあなたに返せるものがない。期待はずれ場違いのプロだから。
・・・何もかも怖くなった。
馬鹿だな〜〜って笑って欲しい。そう思いながら書いている。
ここまで書いておいてなんのオチもない。
中途半端に拍車がかかって、30代。
さて、これからどうしようかと考えては行き止まりになり、逃避。を繰り返す日々。正直飽きてきたところなのです。
なので毎日なにか考えたことを書き残しては一丁前に存在してますよ、と小さな挙手をさせていただこうと思い。
何かを創ることで認められたい気持ちくらい、捨てなくていいだろう。
なら、人生の失敗談さえ生成物でコンテンツとしてなんとなく置いておこうと思う。
つまらないこと間違いなしなので、そこは期待してください!
始まりもしなければ終わらなくて済むだろう。
そうやってまた、何もない日が今もあって。
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