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諏訪に行った話

 昨年の九月上旬、諏訪を訪れた。諏訪を訪れるのは二回目であり、前回も今回も飯田線に乗った(前回は「未遂」に終わったというべきだが)結果の諏訪到達である。
 一回目の諏訪訪問の経緯は以下のとおり。天候にしてやられた旅だった。徒歩だったので、上諏訪駅周辺を散策しただけで帰った。

 二回目(今回)の諏訪に至る経緯は以下のとおり。この文章の前日譚である。

 せっかく諏訪に来る(しかも二回目)なのだからちゃんと観光しようと、折りたたみ自転車を輪行した。今回のお供はCarryMeである。列車の網棚に乗る便利なヤツだ。
 ちゃんと観光しようと思ったのは、前回と今回の間に、中沢新一と坂本龍一の対談集『縄文聖地巡礼』を読んだからだ。

 我がまち敦賀も登場するこの本、前から読みたいと思っていたのだが入手困難となっていて価格が高騰していたところ、坂本龍一逝去に際して(?)新版が出版された(そのためなのか、新版には中沢新一の追悼文が掲載されている)。そのことを知り一も二も無く入手して読んだ。正直なところ、二人の対談は結構適当なことを言っているのではないかとの印象が否めない(それはそれでざっくばらんで良いのだ)が、「縄文の聖地」のガイドブックとしては面白い。その第一章に諏訪が登場する。


2024年9月7日(土)

諏訪散走(諏訪湖→諏訪大社上社本宮)

 諏訪湖畔に宿を取った翌朝。天気も良く晴れ渡った諏訪湖が美しい。

晴れ渡った早朝。このあと暑くなり始める

 諏訪大社は上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の四社からなっており、とくに四社の間に上下優劣はないらしい。四つ全部回るのはさすがに厳しいので、現在いるところから近い上社の本宮と前宮を訪れることとした。とりあえずの目的地として上社本宮へ向かう。道中、小さな神社や祠、道祖神が多く、そしてそのどれもが四隅に御柱(おんばしら)をそなえている。明らかに諏訪大社の影響であり、他の地域では見たことがないのでやはり諏訪特有のものなのだろう。

路傍の夫婦の石像にも四隅に御柱
路地をトコトコ走る。前方に見えるのは上社本宮の鳥居。もう神域だ
上社本宮の波除鳥居の手前にある小さな祠。やはり四隅に御柱


諏訪大社 上社本宮

 宿から30分ほどかかって諏訪大社上社本宮へ到着。本殿はない。理由は、守屋山を神体として拝するからとも、明治のはじまりまでは諏方氏出身の大祝(おおほうり)が神体もしくは現人神として崇められていたからとも言われている。本殿のない(あるいはご神体が山だとか滝だとか大きな岩だとかの)神社はたびたび見受けられるが、そのどれもが、神道以前の信仰の形態を色濃く残しているようでとても興味深い。荘厳な空気を残す上社本宮の中を歩き、御柱を見上げる。

諏訪大社上社本宮に到着。北参道の鳥居にて
東参道の鳥居をくぐり、入口御門 布橋へ
入口御門 布橋
歩くと、自然と背筋が伸びる
布橋脇にある二之御柱
五間廊(ごけんろう)
ちなみに上社前宮には十間廊(じっけんろう)がある
布橋から望む硯石(すずりいし)
諏訪大明神のおりたまふ場所だ
天辺が窪んでいて、常に水が溜まっていることから「硯石」と呼ばれる
参拝所
幣拝殿。前庭も含めて幣拝殿は立入禁止
階段下から見る塀重門
一之御柱
一之御柱を見上げる
布橋を歩いて戻る
手を繋ぐ母子が微笑ましい
青空に向かって聳える木々と御柱
三之御柱

 ちなみに「諏訪氏」「諏方氏」については、単なる表現の揺れかと思っていたのだがどうやらそうではないらしい。江戸時代になって諏訪藩(高島藩)が成立し、それからまもなく武家と社家の分離を命じられた。このときに「藩主諏訪家」と「大祝諏方家」となったようだ。だが、いろいろ調べてみると、これ以前にも惣領家としての諏訪家と大祝諏方家が分裂して(争って)いた時期もあったようで詳細はよくはわからないのだが、漢字は使い分けられているようである。

 天気は良いが暑くなってきたので、上社本宮の大鳥居の前に「コーヒーノススメ」というコーヒー屋さんがあったので一服しようと思ったのだが、開店は11時。現在時刻は10時半。30分も待てねぇということであきらめる。

上社本宮駐輪場の脇に何気なく置かれた石像
路傍の石像
夫婦石かと思ったが、よく見たら夫婦ではなさそうだ
小さな祠にもしっかり四隅に御柱
手前の井戸を祀った祠か
狭いスペースに遠近法を意識したような御柱の配置
祠の小ささに比べて立派な鳥居と御柱
祠はただの飾りで、後ろの木がすごいのかもしれない
こちらも「木が本体です」のパターンか


茅野市神長官守矢史料館

 上社本宮から前宮へ向かう途中に茅野市神長官守矢史料館がある。諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)を代々務めた守矢家に伝わる文書などを保管したところである。藤森照信の建築によるもので、なんと45歳にしてのデビュー作らしい。

茅野市神長官守矢史料館
ニョキっと御柱が屋根を突き出ている
こう見えて鉄筋コンクリート造だ

 自然素材などを活用しているが鉄筋コンクリート造ということだ。こういった地域の風土や立地に応じて建物を造ることを「ヴァナキュラー建築(Vernacular architecture)」というそうだ。
 屋根を突き抜けた御柱(?)が目を引く。外見はそこそこ大きく見えるが、中に入ってみると立ち入ることのできるスペースはそんなにはない(たぶんほとんどが保管庫なのだろう)。それでも、鹿や猪の首がずらっと並んでいたりするなどインパクトは抜群だ。

中に入る。獣の首たちが否応なく目を引く
鹿とか猪とか
祭事に使われた道具たち

 玄関に掛けられた鉄鐸は、ただの飾りかと思いきや、夜には明かりが灯るのだそうだ。ちょっと見てみたい。神長官の振り鳴らす鉄鐸は、上社神宝として重要なものであったらしい。

神長官の振り鳴らす鉄鐸。ミシャグジが下りてくる

 神長官守矢史料館は守矢家の屋敷跡にあり、その敷地内には御頭御射宮司総社(おんとうミシャグジそうしゃ)があってミシャグジ信仰の中枢とされている(現地に立っている案内板によると「神長官邸のみさく神境内社叢」となっている)。石積みの施された一角があり、その上にさほど大きくはない社とさらに小さな祠がその右に二基、左に一基ある。そのいずれもに御柱が建てられている。規模的には大きくはないが、その後ろに控えている木々も含めて、放っている空気がただごとではない。もうただごとではないのだ。「パワースポット」という言葉がいかにも安っぽくて大嫌いで使いたくない。空気が濃いというか、縄文の空気をそのまま持ってきたというか(縄文時代には今より人が少なかったはずだから、縄文時代の空気中の酸素濃度は今より高かったのではないかと想像するが)。
 ミシャグジ信仰は、諏訪明神以前の原始信仰とされ、縄文時代の信仰形態を色濃く残していると言われる。そして守矢家の神長官はこのミシャグジさまを掌る唯一の人物であったらしい。『縄文聖地巡礼』にも写真付きで登場するところで、今回いちばん来てみたかったところだ。

御頭御射宮司総社(おんとうミシャグジそうしゃ)
お社や祠そのものは決して大きなものではない
でもそんなことは問題ではないのだと言わせるだけの説得力がこの場所にはある
現地の案内板ではミシャグジは「みさく神」となっている
実際他にも呼び名はあって、その定まらなさがなんともいえずよい
お社の向かって右にある小さな祠二つ
お社の向かって左にある小さな祠
横から見たお社
お社の背後の社叢。写真では分からないが、濃い空気が満ち満ちている感じ
誰のしわざかな。お社の前にお供えしてあった。かわいらしい

 史料館敷地内には古墳がある。7世紀中頃のものとのことで、開口していたのでちょっと中にお邪魔した。

敷地内には古墳がある。7世紀中頃のものとのことだ
開口していたのでちょっと中にお邪魔した。
採光(?)がなされており、意外と明るい
採光部分(?)からのぞく緑が眩しい
中から外を見ると、なんとなく縄文式住居にいるような気分になる


三つの茶室

 資料館を見てミシャグジさまを見て古墳も見て、さて次はどうするかなと思ったら、高札のようにしつらえられた木の板に

             大 空 高 熊
             祝 飛   野
             家 ぶ 過 堂
             墓 泥   墓
             所 船 庵 所
              → → →

と手書きされてあるのを見つけた。妙に味のある字で、さっき資料館で見た藤森照信の字に似ていなくもない。この時点で「高過庵」「空飛ぶ泥船」がなんのことかわかっていなかったが、とにかく行ってみることとした。
 しばらく小道を行くと大祝諏方家墓所があった。守矢家の敷地のすぐ裏手に当たる場所なのでおや?と思った。元々守矢家の墓所だったが、どういう経緯からか諏方家に追い出されたらしい。で、追い出された先が「熊野堂墓所」なのだそうだ(あとから調べた)。「熊野堂」は旧高部村の共同墓地とのこと。諏方家も守矢家も日本最古の家系に属するに違いないと思うのだが、共同墓地に追い出すとはなかなかひどい。マァ神様だから我儘が許されるのかもしれない。大祝諏方家墓所は、なんとなく撮るのがためらわれて、写真はない。

 大祝諏方家墓所を通り過ぎると、舗装された道に出た。しばらく歩くと、どうみたってアレが「空飛ぶ泥舟」(看板では「泥船」だったが茅野市HPや観光協会HPによると「泥舟」なので、ここでは「泥舟」とする)に違いない建築物が見えてきた。眼鏡を掛けたカレーパンマンの頭部のようなものが4本のワイヤーで四方から吊り下げられている。風が吹いたらびよんびよんしそうだと思ったが、後述する苔テラリウムのおねえさんによると意外と揺れないのだそうだ。突拍子のない建造物なのに、意外と周囲の風景になじんでいる。

木々の中に現れた「空飛ぶ泥舟」
突飛な建築なのに、意外と風景になじんでいる
眼鏡を掛けたカレーパンマン
横から見た泥舟。上る用の梯子が右に置かれている
下から見上げた「空飛ぶ泥舟」。なんとなく中は暑そうだ

 さらに歩くと、どうみたってアレが「高過庵」に違いない建築物が見えてきた。アニメに出てくるツリーハウスみたいな、どこかから飛んできた家が立ち木に突き刺さったみたいな外観の小屋だ。後述する苔テラリウムのおねえさんによると泥舟よりこちらの方が余程揺れるらしい。その足元には地面を這う四角錘体の屋根の建物があり、これは「低過庵」というらしい(後述する苔テラリウムのおねえさんの情報による)。入口はどこにもなく、屋根がレールでスライドするとのことだ。

泥舟のさらに奥。どう見たってアレが「高過庵」に違いない
トム・ソーヤーとかハックルベリー・フィンとかが出てきそう
一本の柱で支えているのかと思いきや…
別角度から見たら柱は二本だった。そりゃそうだよなぁ…
こちらは「低過庵」
扉はなく、屋根全体がスライドするらしい
スライド用のレール
高過庵と低過庵

 高過庵と低過庵の根元にはいささか現代風な祠がある(もちろん御柱が四方に建てられている)。昨晩飲んだ諏訪の地酒「真澄」がお供えされていた。この祠はまったく新しいものというわけではなく、もとからあったものに手を加えたものらしい。

粗削りな材料が、かえって祠を現代風に見せている
お供えされているのは地酒「真澄」のワンカップ
昨夜飲んだ「真澄」の冷酒。すっきりと辛口で飲みやすい

 高過庵と低過庵から見て山側に墓地がひろがっている。これが熊野堂のようだ。特段変わったところはなく、普通の共同墓地である(なので写真は撮っていない)。守矢家の墓所があるということ以外は。

 神長官守矢資料館に自転車を置かせてもらっていたので取りに戻る。その途中で「20m先左にあります / COFFEE STAND」という手書きの看板を見つけた。上社本宮の門前で飲み損ねたので、ここにコーヒーを飲みに行くことにした。
 資料館から自転車に乗って一旦大きな道に出て、空飛ぶ泥舟への道を曲がり、コーヒースタンドを探して走った。ほどなくしてコーヒースタンドは見つかった。昔ながらのアパートの1階ベランダをカウンターのように改装し、カタカナで「イリビタリ」と書かれている。これがおそらく店名なのだろう。豆を売っているお店のようだが、ここで飲むこともできるようだ。

 ※2025.2.10現在Googleマップ上ではイリビタリは臨時休業となっている。
  行かれる際は事前に確認されることをおすすめする。

アパート一階のベランダをエエ感じにした<イリビタリ>

「ただし試飲という形になるのでこちらにチップをお願いします。おいくらでも結構です」と男性の店主がのたまう。そんなアナタ、いくらでもいいって…財布の中を見て、千円札しかなかったので店主にことわって千円札を入れ、チップ用の小さいバケツからお釣り(?)を500円いただいた。暑かったのでアイスコーヒーをお願いした。
「ここは暑いし、隣が苔テラリウムのお店になっているので、そちらへどうぞ。コーヒーができたらお持ちしますよ」とすすめてくれたので遠慮なくお邪魔することにした。
 アパートの裏手にまわり、ドアの横には

              苔 = ヒト
              koketohito

と書かれた看板が置かれている。ドアを開けるとおねえさんが迎えてくれて、クーラーの前の涼しいところをすすめてくれた。

素敵な看板
明るく、きれいにしつらえられた店内
そよそよと風がなびく
こんなんめっちゃ欲しくなるやん(チャリなので断念した)
遠く八ヶ岳を望みながらコーヒーをいただく

 コーヒーを待つ間も、コーヒーを飲む間も、いろんなことをお話ししてくださった。このお店のことや、二拠点生活をしていること(そういや僕の周りには二拠点生活をしている人が多い)、天気の良い日はここから八ヶ岳が見えること、僕が見てきた奇妙は建築物は藤森照信の設計によるものであること、それが茶室であることなどなど。僕は福井県の敦賀というところから来たこと、折りたたみ自転車でこの辺を走っていること、次に上社の前宮に行こうと思っていることなどを話した。
 ずいぶんのんびりさせてもらった。両店主にお礼を言って辞す。
 すごく素敵なアパートだった。車だとたぶん見過ごしていただろう。これだから自転車はやめられないのだ。

 上社前宮に向かう道すがら、苔テラリウムのおねえさんに教わった藤森照信建築の高部公民館を見る。贅沢な公民館だ。こちらも御柱(?)が屋根から突き出ている。建築ラバーらしき人がチラホラ。

高部公民館。いいなぁこんな公民館
こちらも御柱(?)がニョキッと突き出ている


諏訪大社 上社前宮

 さらに走って上社前宮(かみしゃまえみや)に到着。「前宮」という名称は諏訪大社四社の中でここが一番古いものであることを示すものだ。

上社前宮に到着。鳥居前にて
県道に面したところに大鳥居があり、これはその一つ奥の鳥居

 ここに来ておやっと思ったのが、上社前宮の摂社や祠には御柱がないということだ。本宮と違い前宮には本殿があって、本殿には御柱が建てられている(本宮には本殿はないが御柱は建てられている)。上社前宮近辺だけ特別なのか、御柱の起源(平安期くらいらしい)以前からあるということなのか、理由は想像するより他ない。

大鳥居(県道に面した方)をくぐってすぐ右方にある溝上社
御柱がない
溝上社の奥に広がる叢
鳥居をくぐって歩み入る
左に十間廊、右に内御玉殿
十間廊(じっけんろう)。御頭祭(おんとうさい)の舞台となる
四角く切り取られた木々の風景が美しい

 上社本宮は荘重な雰囲気で、神域の内と外がはっきり分かれている感じだが、上社前宮は境界線をあまり感じさせず(実際、本殿の手前まで車で上がることができる)少し牧歌的ですらある。古くからの集落の中にも摂社があり神域が溶け込んでいる。参拝客も本宮に比べてのんびり散歩している感じであり、本殿脇には「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる名水の流れる小川があって、その雰囲気に一役買っている。清冽で冷たい「水眼」に手を浸し、少し喉を潤す。

二之御柱とその脇を流れる水眼の清流
水眼の清流の案内板
手を浸し喉を潤す。清冽だ
上社前宮本殿。『縄文聖地巡礼』には、ここで写真を撮る坂本龍一が登場する
撮りたくなる気持ちがなんとなく分かる
本殿裏手
本宮は空に向かって真っすぐに木々が伸びているが、ここ前宮は自由に繁茂している印象
一度見比べてみてほしい
御室社(みむろしゃ)
御室社の案内板
この巨大な欅の下の大きな洞(うろ)があって、それを利用して半地下式の御室が造られ、
その中で「御室神事」が行われたそうだ


ハルピンラーメン

 さて。腹が減った。昼飯は何を食おうかとGoogleマップを開く。「ハルピンラーメン」という名前が目を引く。ハルピン?中国東北部の?なぜハルピンなのかはわからないが、諏訪市民のソウルフードなのだそうだ。上社前宮からは少し離れているが、俄然興味がわく。
 自転車で走っていても何の面白味もない国道20号を諏訪市方面に向けて走り、ハルピンラーメン本店へ到着。行列ができていたがラーメン店のことゆえ回転は速く、待合の椅子に座っているときに注文を訊かれ、その数分後にはカウンターに着席。しそ餃子を食べてみたかったのだがあいにく売り切れとのことで普通の餃子とハルピンラーメンを注文した。

ハルピンラーメンに到着
中国東北部の「ハルピン」だ

 スープは赤くていかにも辛そうに見えるがそこまで辛いわけではなく意外とあっさりしている。唐辛子の辛さよりも花椒の香りが強い。麺は細いちぢれ麺。今までちょっと食べたことのない感じのラーメンだ。そして多分飽きが来ないのだろう。諏訪市民のソウルフードたる理由も納得である。
 餃子は肉汁溢れて旨い。これはぜひしそ餃子も食べてみたいものだ。

蜀の英雄たちが店内を睥睨する
辛そうに見えるが意外とあっさりしたラーメン

 店を出て自転車を組み立てているときに、左ペダルが破損する。応急処置をして、乗れないわけではないが、帰宅するまでペダルをたためない(たたむとペダルが取れてしまう)。はぁ…ペダル買わなきゃ…

cafe CROSS

 さて。昼飯を食ったらもう帰るだけだがどこかでお茶でもしたいものだ。Googleマップを開く。
 今いるあたりには気のきいたカフェはなさそうで、さっきまでいた諏訪大社上社のあたりがやはり多そうだ。また上諏訪の駅はここから遠くて茅野駅に近づく方がよいだろうというのもある。ということで自転車で走っていても何の面白味もない国道20号を走って戻る。
 cafe CROSSという、寒天工場直営らしきカフェを見つけて入る。二輪車(バイク、自転車)の客や登山帰りの客にはお得なセットがあるらしく、それを利用してコーヒーとあんみつを注文する。

Cafe CROSS。隣に巨大な寒天工場(?)が建っている

 これまで、あんみつの寒天というのは、正直あんみつのかさ増しというか隙間を埋める存在くらいにしか思っていなかった。ところがここのあんみつは「寒天が主役のあんみつです」との言葉とともに提供される。大きめに切られたあんみつ。弾力がすごくて、歯でブッチンと切れる。ほのかな香りと甘み。とてもおいしい。主役の看板に偽り無しだ。

二輪の人だけのおとくなセット(だったように思う)
寒天が主役のあんみつ。諏訪(茅野だけど)来たら寒天食べた方がいい
寒天が主役だから罪悪感もゼロだ

 食べ終わってお店を出て茅野駅へ向かう途中、「(組)信濃寒心太水産組合」という表札を見つけた。同業組合があるほど寒天生産が盛んなのだと驚く。

「寒心太」の読み方が分からなかった。「かんところてん」…?

「寒心太」の読み方が分からなかったので、帰ってから調べてみた。便利なもので、「ふりがな文庫」というサイトがあり、そのサイトが以下のような引用を示してくれた。

 この習慣が今の生糸や寒心太かんてんの産業を生み且つ発達させた。私の住んでゐる寒村の人々が、厳冬の湖上に於て、昼夜となく働いてゐるといふことは、その諏訪人の気風の片鱗である。

島木赤彦『諏訪湖畔冬の生活』

 Wikipediaによると、心太(ところてん)を戸外で凍結乾燥させたものが「寒天」らしい。ふうむなるほどと得心する。ちなみにこの島木赤彦の『諏訪湖畔冬の生活』は、諏訪の冬を伝える分かりやすい文章だ。そんなに長くないし青空文庫化されているのでおすすめする。

 とまぁ、寒天についての知識を深めているうちに茅野駅に到着。名残惜しいが、諏訪を去る。また来よう。

茅野駅
さらば諏訪。また来ます


後日譚:映画『鹿の国』

 この日以来、諏訪に取りつかれてしまった。帰ってきてからも、諏訪や縄文に関する情報を目にすると飛びつくように読んでしまう。諏訪再訪時に訪れるべき場所のリストが脳内の一角を占めるようになり、そのリストは日々積み上がってゆく。
 そんな困った状況の中、『鹿の国』というドキュメンタリー映画が公開されると知った。残念ながら福井県内での公開はない(なんでだよ(涙))ため、京都まで観に行ってきた。内容は諏訪大社やその信仰、年中を通して催される神事などの様子を映像におさめたもので、諏訪マニア必見のものといえよう。中でも特筆すべきは中世以降惜しくも廃絶した「御室神事」の再現を試みたものである。上述した上社前宮の御室社に関する神事だ(ホラ上に戻って御室社を見直してみよう!)。映画を観ながら脳内に御室社の様子がぱあっと甦り、諏訪成分摂取のために映画を観に来たはずが、結局諏訪に行きたくなるのを増長しただけだった。

『鹿の国』チラシ
『鹿の国』パンフレット2,000円。最初「高っ」って思ったけど、分厚さで納得

『鹿の国』を観に行った前の日に南越前町の山中で鹿に遭遇し、この映画を観た帰りに乗った新快速を先行していたサンダーバードが、敦賀~新疋田間で鹿を轢いて列車の運行が遅れた。なんということはない。福井県もまた、鹿の国であったのだ。

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