日々是レファレンス『PERFECT DAYS』
ひさしぶりに観た映画は、やっぱり映画っていいなと思える映画だった。
この映画を観て、ある人のことを思い出した。友人や知り合いとかではない。話をしたこともない、見かけただけの人だ。
京都に住んでいたことがある。大学が京都にあったのだが、学生時代を含めて8年くらい住んでいた。京都では春夏秋と年3回大規模な古本市がある。春はみやこメッセ、夏は下鴨神社の糺の森、秋は百万遍知恩寺(そして今回はじめて知ったのだが、今は冬も古書会館というところで2月に古本市をやっているらしい)。学生時代は暇だったので、それらの古本市には欠かさず赴いていたが、通ううちにあることに気がついた。どの古本市にも、紙製のショッピングバッグを2つか3つ持った、70を少し過ぎたくらいの背の低い男性がいる。古本市に集まった各店の百円均一棚の本をくまなく見て吟味し、数冊選んで購入し、また隣の店の百円均一コーナーを見る。ショッピングバッグはぱんぱんに膨らんで、あれだけの数の本、重いはずなのだがその男性はなんとなく嬉しそうに歩いている。
その男性をいろんな古本市で何度か見かけるたび、僕はその男性についての想像をたくましくした。古本市にずっと居るくらいなので、自分の時間を自由に使える人なのだろう。たぶん独り身で、北白川あたりの畳敷きのアパートに一人で暮らしていて(絶対ワンルームマンションとかではないはずだ)、最低限の家具や荷物で、でも本だけは山のようにあって、古本市のたびに本を大量に購入して、余暇はひたすら読書をして過ごしている。仕事はしているだろうか年金暮らしだろうか。そんなミニマルな老後もいいなぁと勝手にあれこれ想像した。
そしてそんなやくたいもない想像がそのまんま写真になってチラシになっている映画があって驚いた。しかもヴィム・ヴェンダースが撮ったという。マァ舞台は京都ではなく東京だし、主人公は70前後の小さなおじいさんではなく役所広司だし細部はいろいろ異なるが、この映画は観なければと思ったのだ。
ヴィム・ヴェンダースといえば僕の中では『ベルリン・天使の詩』と『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』である。『ブエナ~』は純然たるドキュメンタリーなのでさておくとして、『ベルリン・天使の詩』がどうしても比較対象となってしまう。『ベルリン~』は、いってみれば「天使」という観察者を通じてベルリンの街を描いた映画だ。しかしながら観察者たる天使は途中で観察者であることを放棄し、人間たちの生活に舞い降りる。
『PERFECT DAYS』の主人公平山は公衆トイレの清掃員だ。その生活はミニマルそのもので、他の人との関係もミニマルだ(からといって寂しいとかそういったことはなく、かえってその距離感が心地良くもある)。平山は東京という都市を描くための観察者なのだ。住居のドアを開けて見上げる空、街の様子、壁に映る葉の影、美しいと思うものを丁寧に拾い上げてゆく。あらゆるものが彼の観察対象だ。
『ベルリン~』に倣えば、何か大きな出来事があって、平山の素性が明かされて(たとえば平山は実は過去に大きな犯罪を犯しているテロリストで、捜査の手を逃れるために隠遁生活を送っている。ちょうど桐島聡のような)みたいなことになるのかと思ったがそんなことはなく、平山は映画の最後まで観察者たる立場を放棄しない。いろいろな出来事は起きるし、平山の過去が多少垣間見えることはあるが、あくまで淡々とはじまり淡々と終わってゆく。
『ベルリン~』はハッピーエンドだったのでまだ良いが、その続編の『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』はとんでもないバッドエンドだった(ていうかヴェンダースはなんであんな映画をつくったんだろう?)。それらと比べると、静かにはじまって静かに終わってゆく『PERFECT DAYS』はとても良いと思えた。
最終盤、仕事に向かう運転中の平山の表情がこの映画のハイライトだ。この「顔芸」は、ルコントの映画『パトリス・ルコントのボレロ』のジャック・ヴィルレに匹敵するといっても過言ではないと思うがマァそれはともかく、僕はこの平山の表情を、彼の送っている生活あるいは人生の全肯定と受け取った。それは彼のあらゆるものへの観察的態度の表出である。映画の(日本国内の)キャッチコピーが「こんなふうに生きていけたなら」となっているが、「こんなふうに」の中身は、ミニマルな生活というよりは、その観察的態度にあるのではあるまいか。
音楽もよかった。
その題名から絶対劇中で使われているだろうなと思ったルー・リードのPerfect Dayはやはり使われていた。学生時代に観た映画『トレインスポッティング』(1996年の映画ということなのでもう28年も前のことらしい。時間というのは残酷なものだ)で知ったこの曲。使われているシチュエーションはだいぶ異なるが、いいものはいい。そういえば『トレスポ』のサントラ盤も秀逸だった。Underworldをスターダムに押し上げた。イギー・ポップはやっぱりかっこよかった。みんなかっこよかった。
あがた森魚のギターもよかった。「どこへ行ったのだろう」と思っていたが、ちゃんとあがた森魚はそこにいた。石川さゆり、色っぺぇなぁ。みんなよかった。
ちなみに、休日に行く居酒屋のママに淡い恋心を抱く気持ちが、僕にはとてもよくわかる。僕も、よく行く喫茶店の女性店主に恋をしたことがあるからだ。
何度も繰り返すようだが、淡々と始まり淡々と終わっていった映画なので、鑑賞し終えてすぐの感想というのは正直なところあまりなかった。しかしパンフレットを買って読み、いろんなSNSに投稿された感想や批評などを読み、あるいは日常生活を送っていると、ふとこの映画を思い出す。余韻が細くながく続くのだ。そして、また観たくなっている。
パンフレットに柴田元幸が寄稿しており、へえぇと思って読んだが、写真屋の店主が柴田元幸と知ってのけぞった。だってアナタ、柴田元幸といえば稀代の名翻訳家ですよ。僕の大好きなトマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』とか、エドワード・ゴーリーもたくさん翻訳している(『うろんな客』とか題名からして天才かと思う)し、ボルヘスの翻訳もあるし、あんまり読んだことないけどサリンジャーもヘミングウェイもブコウスキーもそうだし、なんで映画に出てるの?なんでヴェンダースはこの人を映画に出そうと思ったの?不思議な高揚感とともにクエスチョンマークが頭の中を駆け巡る。なんだか嬉しくてしょうがない。
柴田元幸のことはともかくとして、作中に登場したフォークナーとか幸田文などを読んでみようと思った人は案外多いのではあるまいか。そういった観点からは、映画『PERFECT DAYS』は良質のレファレンスに満ちているとも言える。