哲学シリーズ・人間の正体➀(二律背反、純粋理性批判)
はじめに
哲学シリーズを
始めるに当たっ
て、断っておき
たいことがある。
このシリーズは、
哲学を分かりや
すく、紐解く事
のみに集中して
いく所存である。
それ故、哲学用語
は、解説も含めて、
数多く用いるが、
哲学者の名前には、
出来るだけ触れず
に、進めていくの
で、読者には、予
め、ご了承願いた
いと存ずる。
二律背反~アンチノミー
人間には理性がある。
理性は、通常、
正義・善・思いやり
など、
肯定のイメージを含
んでいる。
同時に、絶対的かつ
完全という条件が
必要不可欠である。
それ故、
「純粋理性」
と呼ばれる。
ところが、
「純粋理性」には
相反する意味が
存在し、人間は
困惑する。
この状態を
「二律背反」
という。
純粋理性批判
具体的な例を挙げる。
➀ある人が
「心霊写真」
は、見たくない、
と思ったとする。
ところが、一方で、
見てみたいという
欲求が出てくる。
これは、
「心霊写真=恐怖」
という法則に基づき
「恐怖だから、見た
くない。」
と
「恐怖だけど、見て
みたい。」
という、相反する結
果に辿り着いたこと
になる。
では、この結果は
両方とも真なのか?
それとも、
一方が、偽で
もう一方が、真
なのであろうか?
答えは、両方とも
偽となる。
理由は、
相反する結果という
矛盾が生じたためで
ある。
それ故、
心霊写真=恐怖
という、方程式は
成立しない。
矛盾が生じたのなら、
それは、絶対的でも
なく、完全でもない。
とすれば、絶対的で
完全であるべきはずの
純粋理性は、相対的で
不完全と言える。
即ち、純粋理性批判が
成立する。
②よくある家族構成
だが、
夫(息子)、嫁、姑
3人の関係性につい
て述べる。
夫(息子)が
姑(夫の実の母親)
に対して、
「お袋の料理の味付
けに敵うものは、
いない。」
と言及した。
姑(=実の母親)は、
息子から褒められた
ので、とても喜んだ。
一方で、
夫は嫁に対して
「お前の料理は工夫
されていて、この
世に敵うものは、
いない。」
と言及した。
嫁は、毎日料理の
工夫をしていたの
で、認められて、
とても喜んだ。
ところが、ある日、
嫁と姑が会話をし
ている際、夫(息子)
が、それぞれに言及
した内容を、相手が
知ることになるので
ある。
この瞬間、夫(息子)
の言葉は、
「両方とも偽」
であると、嫁と姑は
思い、夫(息子)の
人間性に疑問符が
付いたと推察でき
る。
どちらにも、いい
顔をする人間の発
言は、
不信しかないから
である。
結局のところ、
「料理に関して、
この世に敵う
ものは、いな
い。」
という
夫の思いやり(理性)
は、矛盾という形で
粉砕されたのである。
この結果は、
人間の理性は、完全
ではない上、限界が
ある事を示している。
つまり、限界のある
理性に絶対的な信頼
を向けない事(批判)
が肝要だと言える。
➀の例と同様に、
この考えも
「純粋理性批判」
と呼ばれる。
では、絶対的でも
なく、
完全でもない
「理性」
を抱えている人間
は、どのように
生きればよいの
か?
この問いに対して
考えていくヒント
を
「哲学シリーズ
人間の正体②」
で述べたいと思う。