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歴史を旅できるまちに住みたい

小学生のころ、「戦国武将になりたい」と空想にふけることがよくあった。父が知り合いから学研の『まんが日本の歴史』を譲り受けたのがきっかけだったと思う。振り仮名なしでは読めない漢字だらけなのに、ページを繰るたびに未知の世界へと旅立てる学習まんがに私は夢中になった。

きっと「ごっこ遊び」の延長だったのだろう。実際に合戦ごっこをするわけではないけれど、天下を賭けて争う武将たちの生き様に触れると心躍る高まりを感じていた。その感情はテレビの向こうの特撮ヒーローに抱くワクワク感と似ていたように思う。ただ、特撮のごっこ遊びとは少し違う点もあった。特撮ヒーローになりきるときは戦闘シーンを再現することが多いけれど、戦国武将へ思いを馳せるときに私は「ままごと遊び」に近い空想もしていた。当時の暮らしぶりにも非常に興味があって、それを体験したい欲求があったのだ。例えば、日本史の便覧に載っている戦国時代ごろの献立を見て自分も食べてみたいなと思ったり、絵巻物に描かれる荘厳な城下町や緊迫した戦場に身を置いてみたいと願ったりしていた。

ごっこ遊び・ままごと遊びは大人になった今も継続中で、成長するにつれて、城めぐりや歴史的な街並みを散策しつつ当時の暮らしを追体験する楽しみ方へと変わっていった。ところが、今住んでいる地域には古い歴史を感じさせてくれる史跡がそう多くはない。自宅からしばらく歩けば、古墳時代に土器を焼いていたとされる窯の跡はあるけれど、鬱蒼とした竹林の中に無機質なフェンスで囲まれたうずたかい土の塊があるばかりで、それを眺めていても当時の暮らしに思いを馳せることは難しい。当時はどれほど大きい窯が建っていて、そこにはどんな人たちがものづくりに関わっていて、土や炭の匂いは、窯から立ち込める煙や熱気はどんなだったのか。それらを追体験できればきっと楽しいのだけれど。

■歴史を旅するテクノロジー

そんなことを考えているとき、このもどかしさを晴らしてくれるものに出会った。実家の高槻市(大阪府)に帰ったとき、「AR高槻城」というスマホアプリがあると知ったのだ。高槻城といえば、キリシタン大名で有名な高山右近の居城であったが、明治時代に廃城となり跡地は公園になっている。2014年にリリースされたこのアプリは、AR(拡張現実)の技術を使って、スマートフォンの画面上に当時の高槻城と城下町をCGで再現するものだ。CGは当時城が建っていたとされている位置情報とも連動していて、市内の各所に設置されたビューポイントからスマホをかざせば、いろんな角度で立体的にかつての高槻を見ることができる。

(参考:高槻市『インターネット歴史館』)

慣れ親しんだ地元の風景にいながら、歴史を感じて散歩できる。これこそ私がやりたかった体験だった。ちょうど戦国時代にはまりだしたころ、地元の高槻城がもう現存していないと知って残念に思っていた。しかし、AR高槻城のようなコンテンツがあれば、大阪城や姫路城のような城郭がなくとも、解像度の高い歴史の追体験ができるはずだ。

最近では静岡県が「VIRTUAL SHIZUOKA(バーチャル静岡)」という仮想空間上に県土を構築するプロジェクトをやっていて、例えば浜松城や韮山反射炉も再現されている。浜松城の加工データは、世界中で人気のMinecraft(マインクラフト)にも搭載されているそうだ。本来これらのデータは土木や防災などのまちづくりに利用されるものだが、観光での活用も検討中とのことなので、例えば現在と戦国時代の浜松城を重ねてみる歴史再現なんてどうだろうか。VR(仮想現実)で戦国時代を旅できるかもしれないなんて、想像するだけで心がときめく。

(参考:静岡どぼくらぶ『VIRTUAL SHIZUOKA ~3次元点群データでめぐる伊豆半島~』)

CGやデータの集合体を活用したところで本物の体験には及ばないのでは、なんて野暮なことは言うまい。私がやりたい歴史の追体験を完璧にやろうとするなら、タイムマシンでもなければ不可能なのだから。私の想像力を補強してくれる未来の技術を活用しながら、歴史を旅するごっこ遊び・ままごと遊びで、子どものころに感じた胸の高まりをもう一度味わわせてほしい。

■まちの歴史と共に未来へ

ちなみに、名勝や文化財を多数保有しているまちであることが、歴史を旅するための絶対的な要件だとは考えていない。個人的な趣味嗜好で戦国時代の風景を体験できればうれしいけれど、決してその時代だけにこだわる必要はないはずだ。まちの歴史をたどるテレビ番組で、昔の写真を今の様子と見比べる演出をしばしば見かける。宅地が建ち並ぶ前の原っぱとか、駅前の開発前後の様子とか。ここ数十年くらいのビフォアアフターを先端技術で再現してまちの歴史を追体験するのも、世紀をまたぐ旅と同じくらいおもしろいと思う。

また、比較的最近の歴史をたどるなら、長くその土地に住む高齢者など、語り部が健在である場合も多いだろう。語り部たちが再現されたかつての風景を旅することで、貴重なまちの歴史が蘇ることもあるはずだ。「ここには昔、こんな場所があってね」と生の言葉で聞けるとしたら、ぜひ聞いてみたい。そして、その生きた情報を私たちが受け取ることは、好奇心を満たすだけでなく、まちの歴史を未来へとつなぐ意味でも重要だと思う。

自分が住んでいるまちの歴史を知らないで過ごすのは本当に惜しいことだ。何世紀前でもここ数十年でも、歴史を旅できるまちに住んでいると、きっといつもワクワクできるだろうし、ずっと住みたくなるくらい愛着も湧くに違いない。そんなまちで暮らしてみたい。

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