上を向いて産まれてきた娘の出産回想録
娘の出産に立ち会った時の回想録です。これから出産を控えているパパに読んで何かを感じてもらえたら嬉しいです。
出産予定日の2週間前、夜22時頃。
奥さんが突然「陣痛が来てるような気がする…。」と言い、自宅のソファーを使って踏み足昇降を始めました。
4度目の出産と言う事もあり、笑いながらエクササイズする余裕まであるのだから大したものです。
私が、連休を予定していた事もあり「今日産めるのであれば産みたいよね!」と「天気良いからバーベキューしたいね!」と同じくらいの軽快さで戸惑う私をよそに奥さんはすでに心の準備は済ませています。
入院用の着替えや他の支度も1週間以上前から準備済み。出来ていないのは私の心の準備だけです。
陣痛がありながらもハーハ―言って黙々とソファーの昇り降りを続け、陣痛の間隔も少し短くなってきたところで、病院に連絡をしました。
陣痛が10分おきぐらいに来ている状況を伝えると「すぐに来てください。」との事。
奥さんを車に乗せ、これ以上はない安全運転で病院に到着しました。
入院の手続きをしたり、必要なものを必要な場所に配置したり、親族・会社・友人に連絡したり……
とフワフワした気持ちを落ち着かせながら一つずつ確実に行っていきます。
奥さんもバイタルなど各種検査を受け、血中酸素濃度・陣痛のバイオリズムを把握する装置(NST)をつけますが、すぐにお産は始まりません。
ここで時刻はすでに2時を回っています。
ここからが長い闘いの始まりです。
ここから陣痛の感覚が短くなるのをひたすら待ちます。2時間経っても、3時間経っても陣痛の間隔は自宅にいた時とあまり変わらず、何の変化もないまま奥さんと話をしていると外の景色が、明るくなってきました。
先生いわく「子宮口も開いてないみたいでまだ時間がかかりそう。」ということで奥さんと相談して状況が変わらなければ、翌朝、陣痛促進剤を投与してもらう事になりました。
「長丁場になるので、一度自宅へ帰宅して休んでください。旦那さんもこれからが大変ですから…」と助産師からの奨めもあり、奥さんも少し仮眠をとるということで、私も自宅へ帰って一時間ほど横になって休ませてもらいました。
奥さんは鈍痛で眠れなかったようですが、朝7時に病院へ行くとニコニコしていました。
その病院は、病院食が豪華なことで有名で、一流ホテルのような朝食であったそうです。クロワッサンやら種なしの大きな巨峰やら美味しいご飯を食べることができた事を嬉しそうに話してくれました。
逞しい奥さんです。
朝9時30分から先生の診察開始。いよいよ出産の準備!意図的に破水させ、子宮口をさらに広げる為にバルーンを投入します。そして次に陣痛促進剤を点滴で少量ずつ投与していきます。
奥さんはこの様子を上の内容で、さらっと教えてくれるのですが、私だったらこれを10倍くらい大げさに話をしていると思います。
破水を得て、陣痛促進剤の投与量を少しずつ増やしていったこともあり、陣痛の間隔がいよいよ短くなってきました。今まで平静を装っていた奥さんの息遣いも徐々に荒くなってきます。
NSTの数値を見ていると陣痛が来る波が分かるようなってきます。「そろそろ来るよ。」と奥さんに伝えながらその波が来るタイミングにあわせて腰を押したりさすったります。これをしているとかなり楽になるそうです。
これをやっていると自分まで呼吸がラマーズ法になってしまっていたそうで……
「ヒッ、ヒッ、ハーー」と呼吸していたら
「ハー」じゃないから……「フー」だから……
と笑い呻きながら奥さんがツッコんできました。
ヒッ、ハァー
私は真剣だったのですが、奥さんにはこう見えたらしい。
邪魔をしちゃいかん!と我に返って陣痛の波にあわせて腰を押す、さするを繰り返しました。
奥さんも相当苦しくなってきたようで、3分に一度ぐらいのペースで陣痛が来るようになりました。
「腰から下をとって欲しいわ。」と言いながらヒーフー頑張っていると「そろそろ分娩室に行きましょう」と先生が言いました。
12時過ぎ、年配の男性医師と女性助産師さん2名によろしくお願いしますと挨拶をして分娩室に入ります。
年配で白髪で眼鏡をかけて落ち着きのある先生が「4人目だからスッと出ると思います。」と私に声をかけてくれました。
真矢みきに話し方がそっくりな助産師に「ご主人も応援してあげてね!」と斜め上気味に言われ、奥さんの頭側にあるソファに腰掛けました。
ここで初めて奥さんは不安そうな顔を見せました。そりゃそうです。これから命をかけて闘うのです。
「大丈夫。頑張って。」としか言えませんでした。奥さんも「うん……」と言って分娩台に座りました。
不安からか分娩室にある全てのものが、色を失ったように無機質に見えます。この異様な空気が歓喜の場所に変わりますように……。
奥さんが手に力を入れてバーに掴まり、いよいよスタートです。真矢助手が呼吸が浅くならないよう奥さんに呼吸法を真横からレクチャーしながら先生が処置を施します。
奥さんの叫び声を聞きながら両手の拳を強く握りしめ、手にじわっと広がる汗を感じながら祈ることしかできません。
どうやらスムーズに処置がいってないようだ。
先生が、奥さんを見ながら何度も首を捻ります。
「何だか手が挟まってるみたいなんだよね。」
普通は頭のてっぺんが見えているはずなのにその上に手が挟まっているかもしれないとの事。
こんなイメージ
分娩前は完璧に胎盤にセットされているように見えていても、ごくまれに胎児が、動いてこのような体勢になったりするそうです。
「こうなると帝王切開しか方法がないんだよね。」と先生が言いました。
他に選択肢はありません。奥さんと目をあわせて「お願いします。」と言いました。
その後、5分くらい先生は無言で状況をじっくり観察していました。きっとどのようにオペをするのか思案されているのだと思っていました。
すると突然、先生が今までのトーンとは明らかに違う様子で、こう言いました。
「違う!この子は上を向いている。」
もう一名のベテランに見える助手も真矢助手も安心したような表情で「へぇー上を向いてたんだ!」と言いますが、もう奥さんにも私にも何がどうなっているのか分かりません。
先生いわく、何千分の一の確率でこのように上を向いて産まれてくる子がいるそうです。
手だと思っていた部分が、今はまだ閉じている目だったのです。状況を理解してからというもの私たちの不安とは正反対に医師たちの動きに一切の迷いがなくなりました。
先生がもう一名の男性医師をヘルプで呼びました。そして私たちに「大変かもしれないけど頑張ろう。大丈夫だから」と力強い言葉をかけてくれて再度、処置がスタートします。
しかし顔が上を向いている為、なかなか出てくれません。すると高齢の先生が突然、奥さんが座っていた椅子の上に身軽に登り、椅子の上に立ち奥さんのお腹を力を込めて強く何度も押します。
そのたびに奥さんから聞いたことのない咆哮のような叫び声が聞こえてきます。赤ちゃんをお腹の上から押し込んでいるのです。
想像を絶する光景に「奥さんが殺されてしまう。無事じゃないかもしれない……」と正直思いました。しかし、奥さんと先生を信じるしか他に方法がありませんでした。
奥さんの叫び声を聞きながら「何とか無事でいてくれ。頑張ってくれ。」と祈りながら念を送り続けました。
これを繰り返していると、下にいるヘルプの男性医師が「もう少し!!」と声を出しました。真矢助手も必死に奥さんを励まし続けてくれています。
上にいる先生が目一杯、奥さんのお腹を押した瞬間、「出たっ!」と大きな声が聞こえました。
へその緒を切って体中に包まれた羊膜を手際よく剥がし、軽く背中をさすります。娘はすぐに「ぅんぎゃー」と大きな声で泣きました。
奥さんの意識もしっかりしていることを確認した瞬間、奥さんへの感謝と新たな命への感動で涙が溢れていました。
壮絶な出産を終えて青白い顔の奥さんの胸の上に真矢助手がそっと娘を置いてくれます。
奥さんの疲れきった顔を見て「ありがとう。頑張った。。。」と言うと、青白い顔に精一杯の笑顔で微笑んでくれて、また涙が溢れてきました。
奥さんも私と同じように泣いていましたが、どこか表情が晴れません。娘を何度も見ています。産まれてきた娘は激しいお産の影響か頭部が傷だらけで顔は真っ黒に腫れあがっていました。
奥さんの様子を察した真矢助手が私にこう言いました。
「2日で綺麗に戻るから安心して。上を向いて早くパパとママと会いたかったんだろうね。可っ愛いよねぇ。」
とより斜め上から自信たっぷりにこう言うのです。真矢助手のこの一言で、私も完全に気持ちが切り替わり「本当に可愛いです。」と自信を持って言うことができました。
それを聞いて奥さんも安心してくれたのか、また泣き始めました。その後、奥さんは裂けてしまった箇所の縫合処置を受けました。
後々聞くとこの時の縫合処置は麻酔などなくても全く感覚はなかったそうです。
命の尊さ、奥さんに対する感謝、不安・期待など本当に色々な感情が入り混じっていましたが、何があっても支えていこうと思いました。
当時の写真
今見るとビックリしてしまいますが、可愛くてたまりませんでした。
そして真矢助手が言った通りに2日後には腫れも引きみるみる顔のアザもなくなっていき1か月後には何もなかったかのように綺麗に復活しました。
後日、先生・真矢助手と会って二人で御礼を伝えた時に真矢助手が「あなたたちは本当に偉いわ。あの状況で自信をもって可愛いと言えるんだからいいパパとママになるわ。」最後の最後まで真矢みき風にカッコよく斜め上からでした。
大きくなった娘は今日も元気に空を見上げて奥さんが吹いたシャボン玉を追いかけています。
さいごに
今、コロナの影響で立会い出産ができる医院も限られていると聞きます。パパが出産の時に奥さんにしてあげられることは少ないかもしれませんが、二人で一緒に出産を迎える気持ちが一番大切だと思います。
そして奥さんや子ども、また近くで家族を支えてくれる方へ日々、感謝の気持ちを忘れないようにしていきたいものです。
突然このような回想録を書こうと思ったきっかけを与えてくれた記事がコチラです。
じんせいさんど(41)さんの記事。
「感動の記憶を陳腐化させてはいけない。」に共感しました。貴重な機会を与えていただきありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございました。 いただいたサポートは他のクリエイターさんのサポートと奥さん子どもにあずきバーを買ってあげたいです。