#4 茶人の祖父
茶道は、幼い頃からそばにあった
美的感覚を養い、直感を磨くために茶道をはじめました。
実は、茶道は幼い頃から馴染みがありました。
祖父母は世田谷の一角で御茶屋さんを営んでいました。父は単身赴任で日本におらず、母が弟を妊娠しているときは、祖父母のお店で面倒を見てもらいました。
祖母とお茶の包装をしたり、祖父と一緒に配達したり、お店の手伝いをしていました。
祖父が茶人だと知った
祖父は2年前に、家の段差で転倒して腰を骨折しました。それ以来、お店は閉じたままです。
今は祖父1人で暮らしているので、世田谷の近くに行くときにふらっと立ち寄ります。
たわいもない話をするときはベッドに座ったままですが、茶道をはじめたことを伝えると、むくっと起き上がり、お店の奥に向かいました。
茶箱を抱えて戻ってくると、「昔は、お茶人さんもお店に来てたんだよ」と呟きながら、中身を出していきます。
懐紙、茶巾、茶筅、茶杓、帛紗と次から次へと茶道具が出てくる。茶道具を横目に、昔話を聞いた。
祖父は、戦後で東京が焼け野原になった頃、最初に氷の商売をはじめた。当時、冷蔵庫が普及しておらず、夏場は貴重品だった。
しかし、冬に氷は売れない。だから、通年で商売できるお茶を売ることにした。
それがきっかけで、祖父は茶道をはじめる。
流派は、裏千家。
茶名は、宗晃。
骨折しても、お店を開いた
骨折した当初、祖父はお店を閉じるつもりはありませんでした。
朝早く起きて、コルセットを付けて、必死に壁をつたいながら、お店を開けます。
何十年と続けた習慣と想いをすぐに捨てることは容易ではありません。
「犯罪や怪我のリスクがある」という家族と親戚の意見で、渋々閉じることになりました。
その時は、祖父の商売のきっかけや茶名をもっていることは知らなかった。
それを知った今、祖父のこれまでを想い、骨折してもお店を続けた理由が少しだけわかった気がします。
>>>次回へ続く