あきらめ上手
↑前回の続き。「教育」を考える第四回。
爪と牙を持つ人が社会の中で共存を望んでいないとは限らない。人間はそれほど単純ではなく、他人の自由と競合する以前に、自身の中にも矛盾を抱えている。本当の自由なんて、最初から存在しないのかもしれない。
初めて何かを諦めたのは、いつのことだったろうか。
満腹で食後のケーキを食べられなかったこと?
遊び足りないまま日が暮れて、家に帰るしかなかったこと?
いや、それよりもずっと昔に、人生で最初の諦めを経験しているはずだ。
何を諦めたのか。そのとき抱いた感情は怒りなのか、悔しさなのか、悲しさなのか。今となっては思い出せないが、人生にはままならないことがあると最初に学んだ瞬間がきっとあった。
誰に教わるでもなく、自分で気づいて諦めることを覚えた。僕が幼い頃から従順で物分かりが良いのは、べつに大人や社会が怖くて屈服していたわけではない。無理なものは無理だと理解していたからだ。
嫌でも理解せざるを得なかった。葛藤は自分の中にあり、ずっと遊んでいたい気持ちも、暗くなったら家に帰りたい気持ちも、等しく本心である。外部からの抑圧なら反発してみることもできるが、内心の矛盾には逃げ場がない。
そのおかげか、諦めの良さにはちょっと自信がある。
↓つづく