見出し画像

水が流れるが如く

前回の記事を書いている途中、あることに気づいた。
これ、以前にも似たような話を書いたな、と。

自分の記事を「山椒」で検索してみると、すぐに見つかった。見出し画像はみんなのフォトギャラリーでお借りしたプリンのイラストだったと思うが、削除されていたので今度は上の記事と同じ鰻の写真を拝借している。

気づいた時点で別のテーマで書き直すこともできた。あえてそれをしなかったのは、1年ぶりに同じテーマで書いてみたら別の景色が見えるかもしれないと考えたからだ。まさに変化を期待して「何度でも繰り返す」を実践した。

で、書き終わってから読み比べてみると……

一緒だった。同じ結論にならないように意識しながら書いたのに、入口が同じだと出口も同じになる。ChatGPTさん曰く、より内省的になったとのことだが、僕はいつも内省的なので、単なる表現のゆらぎだろう。

同じ話を繰り返すお爺さん状態であることに少し危機感を覚える。変化を止めて機械のように過去の蓄積を吐き出すだけの人形にはなりたくない。

今のところ、noteに書くネタがなくて困るということはないが、常に新しい切り口を探せば良いというものでもない。同じ切り口から新しい何かを生み出せる。それが人間の可能性だと思うから。