生きる自由(3)

↑前回のつづき

僕は子供がいないから妄想で好き勝手に言える

我が子が死にたいと言うなら否定も肯定もせずに相談に乗ろう。一時の感情に流されているようであれば落ち着くまで待つし、衝動的な行為に及ばないようにも配慮する。

親には子を守る責任があるのだろう。それは死ぬ自由を奪う権利でさえあるのかもしれない。しかし、死にたいと思わせた時点で自分にその資格はないと考える。

死の天秤が一方に傾くまでに命の重さ苦痛の重みを超えられなかった。命が大切だといくら口で説明しても説得力はない。そうなる前に生きることが最も重要なことだと本人に実感させるのに失敗したのである。

どんなに辛く苦しい状況に直面しても、生きることにそれを上回る魅力があれば死にたいとは思わないはずだ。嬉しいこと、楽しいこと、誰かと一緒にいて幸せを感じること。生きていればこれらが必ず満たされるという確信を持たせてあげられなかった。

その負い目がある中で自由まで奪うことはできない。生きたいと思えない子に死ぬなと言うのはあまりにも残酷だ。

時間はたくさんあった。押し付けられた価値観でなく、自分の意思で生きることを選択できるような子に育てなければならなかったのだと思う。

妄想だから好き勝手に言えるのだけれど。

つづく↓