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kiyofico
完食は一番身近なエコロジー
昔、テレビのCMで見て、ささやかに感動した好きな言葉。商品を思い出せないのでACジャパンの広告かと思っていたが、ググってみると意外にも焼きそばUFOのCMだった。
完食を奨励するために食事を差し出すというのはマッチポンプのような気がしなくもない。商品のイメージと結びつかないことを合わせて考えると、とにかくメッセージとして伝えたくて無理やりねじ込んだのだと思う。
その価値は十分にあったと考える。
エコロジーというかエコ活動に対するモヤモヤ感が常にある。意義は理解しているし、反発するつもりもない。資源ごみの分別にも、レジ袋や割り箸の削減にもできる範囲で協力する。が、そんな自分がどこか嘘っぽく感じられる。
地球に優しくしたいと心の底から思えない。たぶんスケールが大きすぎて本心から賛同できないのだ。ダンボールを十字縛りで束ねながら、意識の高い人はこれをノリノリでやるのだろうかと思う。僕はどうしても義務感がある。
そこへ表題の言葉である。完食なら一切の義務感なしにできる。むしろ完食したい。道義的に正しいことを自ら望んでできることは自己肯定感の強化にもつながる。
食べきることがマナー違反になる国もあるらしいが、ちょっと守れる自信がない。