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nyakopan
レット・イット・ゴー
↑前回の続き
良いものが売れるとは限らない。
この現実が人を狂わせていくのだろう。
とくに創作に関わる人たちは誰もが似たような葛藤を抱えているはずだ。表現とは何か。「表」に現すことを表現と言うのならば、「表」とは一体何を指すのか。
今、こうして書いているnoteの文章も表現の一種であるのは間違いない。頭の中にある考えを文字として現実に表出させている。しかし、下書きの段階では僕以外の目に触れることはない。つまり、「表」にはまだ出ていない。
公開することで初めて「発表」になる。自分以外の目に止まる可能性が生まれる。ただし、これもあくまで可能性にすぎない。結果として誰にも発見されない可能性はあり得る。
僕はそれでもいいと割り切っているが、そんなひとりよがりが創作活動と呼べるのかは怪しいとも思っている。誰の記憶にも残らないなら存在していないのと一緒だからだ。
note界隈だけを見ても「魅力的な記事の書き方」のような「魅力的な記事」がたくさんある。もちろん魅力的であるに越したことはないと思う。埋もれしてしまうよりはいい。
が、同時に大切なものを失っている気がする。売れるための努力が本来の輝きを鈍らせるなら、その活動もまた存在していないのと一緒に思える。
↓テーマ「魂を売る人たち」として次回につづく