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自由に生きたい

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不自由に関する雑記をまとめていきます。
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2024年7月の記事一覧

生きる自由(4)

↑前回の続き 生きたい人が生き、死にたい人が死ぬ。大切なのは生きるか死ぬかよりも自由であることだと考えていた。殺人が悪とされるのは命を奪うからではなく、結果として自由を奪うことになるからだ。 だから死にたい人を殺すのも、自殺を手伝うのも僕は悪いことだと思わない。自由には自由を放棄する自由も含まれている。それを叶える手段として安楽死は許されてほしい。 番組ではALS嘱託殺人に関して実際に難病を抱えつつ安楽死に反対する人々の声が紹介された。 自由に死ねないことに希望がある

生きる自由(3)

↑前回のつづき 僕は子供がいないから妄想で好き勝手に言える。 我が子が死にたいと言うなら否定も肯定もせずに相談に乗ろう。一時の感情に流されているようであれば落ち着くまで待つし、衝動的な行為に及ばないようにも配慮する。 親には子を守る責任があるのだろう。それは死ぬ自由を奪う権利でさえあるのかもしれない。しかし、死にたいと思わせた時点で自分にその資格はないと考える。 死の天秤が一方に傾くまでに命の重さが苦痛の重みを超えられなかった。命が大切だといくら口で説明しても説得力は

生きる自由(2)

↑前回のつづき 本題はもちろんお願いする自由ではなく、死ぬ自由のほうだ。本人が死にたいと言うならそれを止める権利は誰にもない。生きて欲しいとお願いするのは勝手だが、それを拒否する自由が本人にはある。 極論を承知で言うと不治の病である必要もないと思っている。命の重さは平等ではない。他人の命を値踏みすること自体が土台無理な話であって、人はただ自分の命がどれだけ重いのかを自分の秤で量ることしかできない。 少し前のニュースで同級生に無視されて自殺した子がいると知った。「そんなこ

生きる自由

TVerで安楽死に関するドキュメンタリーを観た。肯定的な立場と否定的な立場をバランスよく取り上げていて、お涙頂戴で終わらない良い番組だった。 いろいろな観点があると思うが、一番大きなテーマは「自由」だと僕は解釈した。最期を選ぶということはどこまで生きるかを自分で決めるということ。これはすなわち死ぬ自由に他ならない。 自殺とそれを手助けすることはまったく別の話なので、日本で自殺幇助が認められていないのは理解できる。が、番組内で紹介されたALS嘱託殺人の判決内容に驚いた。