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自由に生きたい

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不自由に関する雑記をまとめていきます。
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2024年1月の記事一覧

ダイナミックバインディング

↑前回のつづき 動的束縛というプログラミング用語がある。 アプリは単体ですべての機能が実装されているわけではない。外部の機能を呼び出す部分があって、実行時に結合して動作が決まる。OSのバージョンによってアプリの挙動が変わったりするのはこれのせいだ。 常識的にはファイルを開こうとすればファイル選択ダイアログが開く。アプリはそれを期待しているし、OSもその期待に応えてくれる。しかし、技術的には何が起きてもおかしくはない。 マインスイーパーが起動するかもしれない。「テッテレ

↑前回のつづき いつから走り始めたのだろう。号砲の合図も誰かの掛け声も聞いた覚えがない。気づいたときには足が動いていて、どこかを目指さなければならないのだと勝手に思い込んだ。 人並みに幸福を願っているつもりだが、渇望と呼べるほど強い願望ではない。走るからにはゴールが必要で、一番無難な選択肢がソレだったというだけのことだ。 当然、幸福を目指さない生き方もある。僕にはその道を選択する自由がある。 プリンが食べられなくてもべつに構わないのだ。手が震えるなどの禁断症状が出るわ

だって大人だもん

↑前回のつづき 食後のデザートに買ってきたプリンがあるとする。すぐに食べたいが今は我慢する。だって大人だもん。ここで食べてしまうと食後に食べたい欲を満たせなくなる。そのくらいの分別はある。 そして食事を終えてのデザートタイム。お楽しみはこれからだというタイミングでやっぱり食べないという選択肢が僕にはある。食べちゃいけない理由はとくにない。それでも我慢しようと思えば我慢できる。だって以下略。 思考が願望を満たすための道具だとするとこの造反を説明できない。ハサミがハサミの気

機械 VS 泥人形

↑からの続き AIに奪われない仕事をリストアップしている人がいるが、あまりあてにしないほうがいいと思う。短いスパンならともかく1年先のAI事情など誰も予測できないのだから。 究極的にはすべての仕事が機械化可能になると想像する。僕は楽観主義なので食い扶持の心配よりも社会サービスの品質向上に期待している。 身の危険を感じるほどネットで叩かれている相談者に「殺されたら捜査しますよ」と言い放つ警察官がその存在を許されているのは他に代わりがいないからだ。無人の窓口よりは無神経でも

からくり人形が運んできたもの

↑からのつづき すべての従業員が自由にシフトを決められて、それが繁忙期を含むすべての客のニーズを満たせるものであればみんなが幸せになれる。ええ、不可能ですとも。 誰も不本意な休日出勤をしない。誰も行きたいときに店が開いていない悲しみを味わわなくて済む。そんな社会を目指すなら方法は機械化しかない。 今さら言うまでもなく世の中は機械化に向かって進んでいる。 セルフレジ然り、配膳ロボット然り。もはや日常風景にもなっている自動販売機や自動改札、ATMだって紛れもない機械化だし

良い週末を

これの続き 個人の自由を尊重すれば社会の利益は損なわれる。社会がうまく回っているときはおそらく誰かの自由が犠牲になっている。努力が強制されたり、やりがいが搾取されたりしている。 どちらが優先されるべきかを考えるのは難しい。社会は個人の集合であり、社会の利益は個人の利益でもあるからだ。 こうしたジレンマを端的に表す例を以下に示す。 すべての個人に土日を休む自由が与えられるとこの理想は叶わなくなる。公共サービスとはいえ公務員だって人間である。税金は奴隷を雇う制度ではない。自

全員がスーパーレアじゃなくていい

強く正しく謙虚で誠実でありたい。願わくば他の人もそうであってほしい。もちろん強制などできないし、僕自身だって満足に実践できているわけではない。 以前、間違える自由について述べた。 まったく同じことが強さや真面目さにも言える。人には己の成長を目指さない自由がある。日々を怠惰に自堕落に生きる自由がある。 誰もが同じ時間と労力を費やして同じ成長が見込めるとは限らない。早起きが苦手な人もいれば食べることだけが生きがいの人もいるだろう。 能力や体質、趣味嗜好が異なれば人によって