誰かを批判してしまう時
どうしても人を批判してしまう。
誰かを見て、「なんでそうなの?」「なんでそうやるの?」「なんで出来ないの?」なんて、言葉に出さなくても、頭の中で考えてしまうことってないですか?
おじいちゃんおばあちゃんが若い人達を見て、「今時の若いもんは・・・」なんて言うのとは、ちょっと違うニュアンスで。
欠点やあら探しをしているつもりはないのに、なんだか目についてしまうこと。
「なんでそれをあの場で言うかな〜」
「余計な一言が多いんだよね」
「何度やってもどうせまた無理だよね」
「かっこ悪い」
そういう相手に抱く気持ち、自分自身に対しても抱いている気持ちだったりしませんか?
誰かを批判する心は、いずれ何らかの形で自分に返ってきます。
第三者からの言葉や態度からだったり、自分の体の不調だったり。
人は、他の人も自分と同じことを考えている、と思いがちです。
自分が相手を見て、批判的に考えるということ、
= (イコール)
自分に対しても、批判的に考えている、と思いがちだ、ということです。
意識して自分に『批判的な言葉』を語っている時もあれば、無意識のうちにやっている時もあるかもしれません。知らぬうちに、自分で自分に『言葉の暴力』で攻撃しているようなものです。
そうやって自分を痛めつけていたら、自己肯定感も下がりますよね。
自己肯定感が下がれば、当然、何をやっても満足できないですし、永遠にどこかで晴れない気持ちを抱えた状態でもおかしくありません。
ヨガ哲学の考え方の一つに、【非暴力であること(アヒムサ)】があります。
肉体的・精神的な暴力をしないように、という意味ですが、第三者だけではなく「自分に対して」も、非暴力であることを求められています。(生きとし生けるもの、全てに対して)
と言われているくらいです。
完璧に非暴力でいられたら、あなたに敵意を持つものはなにも存在しない、というのです。百獣の王もひざまずくでしょう。笑
自分が嘘をつけば、相手も嘘をつくかもしれない、と考えるのが人の心。
自分が、誰かの悪口を言ったとしたら、どこかでわたしの悪口を言っている人がいるかもしれない・・・と現実に起きていないことで悩んだりして。
仏教では、無常・苦と共に仏教の根本思想の一つ、無我、があるようです。「自分」は存在しないと考えるのです。だから、相手も自分も同一のもの。相手を批判することは、自分を批判するのと同じこと。
脳科学の観点からも、脳は「自分」と「相手」の区別がつかない、とも言います。相手に対して批判・非難する言葉を言ったとしても(考えただけでも)、脳は勝手に、自分自身のことを言われているんだ・・・と記録してしまうそうです。
もし、何かを見聞きして、「え?なんか変じゃない?」と、ちょっとでも感じたら、一旦立ち止まり、自分の気持ちを確認してみませんか?
それが怒りや批判・非難する気持ちだと気づいたら、「そこに、なんらかの理由があるんじゃないかな?」と相手の立場や考えを思いやることも大切かな、と思います。もしかしたら、共感できる点が見つかるかもしれません。
わたしの好きなアファーメーションをご紹介します。
形而上学者フローレンス・スコーヴェル・シンの言葉です。
自分で自分を攻撃してしまう病気、自己免疫疾患の人に向けた言葉ですが、他人を批判しがちな人、全てに共通するアファーメーションだと思います。
自己免疫疾患とは免疫系が正常に機能しなくなり、体が自分の組織を攻撃してしまう病気です。他人を批判しすぎる人がなりやすい、と、このフローレンス・スコーヴェル・シン氏の本に書いてありました。
わたしはみんなが大好き。だから批判的に見えることをしても良いよ、それでも大好きだよ。みんなもわたしのことが大好きだから、わたしも何をしても大丈夫。
そんな大らかな気持ちでいられたらいいですね。
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