21-2.心理職の存在の根拠を問う
(特集 協働を巡る信田さよ子先生との対話)
信田さよ子(原宿カウンセリングセンター)
下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.21
〈参加集会型オンライン・シンポジウムのお知らせ〉
『心理職の技能として“協働”の活用に向けて』
−協働が困難な現実を越えるために−
【日程】9月20日(月曜:敬老の日)13時〜16時
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1.医師中心のヒエラルキーの末端に居たくない
[信田]私はあるときまで自分のアイデンティティは,PSW(Psychiatric Social Worker;精神科ソーシャルワーカー)だった。ソーシャルワーク的な発想で活動していた。そのような私の経験から,公認心理師という資格は,ソーシャルワークができないと生き残れないと思う。棲み分けと言っている場合ではなく,ソーシャルワークができないとまずいし,それによって存在価値が増す時代が来る,いや来ていると思いますね。
[下山]アルコール依存は個人の問題のようでありながら,実際には社会的・環境的な問題ですね。そして,当事者に一番近いところにある社会環境は家族。そこで先生はソーシャルワーク的に家族,そして社会環境に関わっていった。家族では,アルコール依存症の裏側にDVがあったということですね。
[信田]ソーシャルワークが重要だと思う理由は,まず家族に関わったことからです。それと,臨床現場のもつ制約性,特殊性によって理論的にも影響されたということもある。例えば,心理職の臨床現場が大学の相談室なのか,病院臨床なのか,スクールカウンセリングなのかによって,その人のアイデンティティのあり方は異なってくると思います。その点,私は1980年代半ばから,アディクションを専門とする開業の場で,1995年からは開業心理相談という場で臨床を続けてきたので,もう40年近いですね。だから病院臨床は出発点でしかない。あんなものは絶対嫌ですね。
[下山]病院臨床の何がそんなに嫌なのですか?
[信田]だって医療というヒエラルキーの末端にいたくないですよ。最後は医者が全部権限を持っている。そこに心理職がぶら下がっている。そのような状態で給料をもらっても心理職としてのプライドが保てない(笑)。
[下山]よくわかります。でも,公認心理師法は,それを法律にしてしまった。専門職は独立したものであり,本来各職種は平等であるべきです。世界のメンタルケアはそれを前提とした多職種協働チームでの活動が進んでいる。ところが,日本は,未だに医師に突出した権力を与えてしまっている。日本ではこれだけメンタルヘルスの問題が噴出しているのに,それを主導してきた医師の責任を問うどころか,その医師に心理職をコントロールする権利を与えた不平等条約の法律を作ってしまった。世界的に見たら,奇妙なことが起きています。
[信田]そうですね。だから,私は病院のことは知らないことにしている(笑)。そこには居たくないから。
2.アディクションの相談を開始する
[信田]私が開業臨床に最初に関わったのは,ソーシャルワーカーを主とした相談機関でした。精神科医の斎藤学(さとる)さんが80年代のアメリカのアディクション援助の実態を知り,日本でも同じような機関を立ち上げ,Family intervention(家族への初期介入)を目的として設立した相談機関でした。そこに10年間いて,本当に色々な勉強ができました。原宿カウンセリングセンターを作る前のことです。
[下山]そこでは,やはりアルコール依存症の治療が多かったのですか?
[信田]日本で最初に「アディクション」を専門に扱ったのは,その相談機関です。当時から,盗癖,ギャンブル依存,リストカット,摂食障害,薬物依存などを対象としていましたし,ゲーム依存もありました。AC(アダルトチルドレン;後述)の相談も日本で最初だったと思います。家族対本人が二対一の割合だったでしょうか。アルコール依存症者の妻,摂食障害の子どもの親,摂食障害本人,女性のアルコール・薬物依存症者を対象としたグループカウンセリングを週に4種類くらい実施していましたね。
[下山]そのような多様な活動をしておられたならば臨床経験を蓄積されますね。しかも,グループですから,色々な情報が入ってくると思います。
[信田]そのときに私が学んだのは,「いわゆる心理臨床の学問は全然役に立たないなあ」ということだった。当時の日本心理臨床学会は,精神分析系の人たちの同窓会のような雰囲気があり,私は馴染めなかった。女性のアルコール依存症者に関する自主シンポジウムを企画したんですが,参加者が2名しかこなかった。その現実を突き付けられたとき,「ああ,心理臨床の業界はアディクションには全く関心ないんだな」と思った。それもあってアイデンティティがソーシャルワーカーへとぐんと傾いてしまったんです。
[下山]当時の日本心理臨床学会は,河合隼雄先生の影響力が非常に強かった。内的な世界,つまり個人の主観的な世界に焦点を当て,夢や箱庭などイメージについての議論が中心だった。しかし,実際に解決しなければいけないのは,現実の問題行動だった。現実の生活世界において問題行動として何が起きているかをみていかなければいけないのに,それには関心のない心理職があまりに多くなってしまった。
しかも,そのような問題行動は,家族との関連で起きることが多かった。家庭内で暴力があったりしたのに,そこを扱わずに内的世界の話に終始する心理職が多くなっていた。でも,アルコール依存の問題は,内的世界だけの問題として語れるものではないですね。
[信田]うんうん。その職場では,心理職は常勤の私と非常勤の女性の2人だけで,あとは全員SWという面白い集団でした。月1回の事例検討会を夜間に開催すると,首都圏の福祉事務所のSWや保健師さんおおぜいやってきて,終了後は原宿のメキシコ料理店で語り合ったりしたものです。当時(80年代末)には,ギャンブルや薬物依存の自助グループがいっせいに誕生し,またメディアのひとたちも取材に訪れたりしましたので,アカデミックではなく,協働という以前の筑前煮みたいな感じでした。とても面白かったですね。
3.混沌とした現場から心理職の存在の根拠を考える
[下山]“ごった煮”みたいですね。それと関連して,私は先生のご著書を読んでいて不思議に思うことがあります。それは,先生は “ごった煮”のような混沌の現場で臨床活動を体当たりでやってきておられる。ところが,御本では,その臨床経験の意味を整理して文章とし構成し,さらに理論化しておられる。多くの心理職は,外国での理論の受け売りをするか,あるいは臨床現場に埋もれてしまうかのどちらかになっている。しかし,先生は,経験からご自身の理論やモデルを出している。それは,先生の生き方なのでしょうか。
[信田]私が哲学科出身だったことが大きいかもしれません。何より自分の頭で考えることの大切さを,1960年代末からの嵐のような学生運動から学んだ。受け売りや物まねの醜さを見てきましたので。それと,1995年に独立して原宿カウンセリングセンターを立ち上げた,そのことが大きいですね。心理職をメインとして,常勤スタッフも含めて10名の女性でスタートしました。原宿という場所で,賃料も含めて独立して経営すること,後ろ盾なくクライエントからの相談料だけで採算をたてるための方程式,これを解くのが難しかった。そのとき常に恐れていたのは精神科医でした。精神科医に「あなたたちがこれだけの料金をとって,これだけのプログラムを実施する根拠がどこにあるか」と問われたときに,ちゃんと理論的に答えられないといけないと思った。
医者は,「自分たちは医師です。医療保険制度があります」と言う。それに対して,当時の心理職は臨床心理士という民間資格だけで,国家資格はなかった。そんな私たちが,料金をとり,面接,グループをやることを正当化する根拠はどこにあるかということが問われた。私は,「そのためには理論構築をせねば」と思ったんです。そこから1999年に『アディクション・アプローチ,もうひとつの家族援助論』(医学書院)を書き,『依存症』(文春新書)を書いた。精神科医が書く前に私が書かなければと思って。
[下山]そうだったのですね。ところで,ご自身のアイデンティティはソーシャルワーカーであったとのことでしたが,原宿カウンセリングセンターを設立するときは心理職でやろうとされたのですね。しかも,心理職が依って立つ根拠はしっかりと構築したいとのお気持ちでおられた。そのために本も書かれた。そのときは心理職にこだわるようになっていたのですか。
[信田]それは,喩えるならば次のようなことです。アメリカが好きでアメリカに行って,アメリカ人として生きようと思ったとしても,あるときどうしても肌の色や言語・習慣などから「やっぱり日本人じゃないか。自分は」と思わざるを得ない。結果として「やっぱり日本人としてアメリカで生きるしかない」と判断するようなものです。ソーシャルワークに違和感はなかった,今でもそれは変わりません。頭の中で描くのは介入の順序だったりしますので。でも,1995年独立し,相談機関を立ち上げる際に,私にあったのは臨床心理士の資格だけだった。だから臨床心理士として生きるしかないと思ったんですよ。でも当時から今にいたるまで,ホームページ上には心理とか心という言葉は使用していません。
[下山]それは,よく分かります。臨床心理士を認定する日本臨床心理士資格認定協会は,内的世界を大切にする河合隼雄先生の影響力がとても強かった。ところが,そのような内的世界とは全く異なる現実の中で開業をするときには,信田先生は,その臨床心理士資格を使うことになったのですね。
4.ダイバーシティの中の少数派でいたい
[下山]河合先生が出席されている会合で私は「臨床心理士は,もっと社会的場面に関わっていかなければいけない」という趣旨の発言を,意図的にしてみた。それに対して河合先生は激怒しましたね。そのとき,「やはり河合先生は,臨床心理士の社会意識の欠如を言われるのが一番に嫌なんだ」と確信しました。当時は,そのような臨床心理士という資格であっても,使わざるを得なかったわけですね。信田先生として,そのような内界中心の心理職の傾向に対するアンチテーゼとして,あえて臨床心理士資格を使ったということがあったのですか。
[信田]それはないですね(笑い)。単純に対クライエント的に資格があったほうがいいというだけですよ。スクールカウンセラー制度もできたばっかりの1990年代後半でした。臨床心理士という資格があるんだと世の中に思われ始めた時代ですね。AC(Adult Children;アダルト・チルドレン)の本※1)を書くときに,その肩書きが欲しかったくらいですね(笑)。
その頃,ある人に「外から批判してばっかりいないで内部から変えたらどうか」「日本臨床心理士会の理事に立候補したらどうか」と言われた。最初は「嫌だ」と言いました。しかし,「理事をやったら信頼度増すかな」と思いまして立候補して当選した。ちょうど河合先生が亡くなられた後ですね。理事会に出てみて周辺の人との違和感はありました。でも,肩書きに理事があると,権威があるみたいに思えましたね(笑)。
※1)信田さよ子(著)『「アダルト・チルドレン」完全理解』(三五館,1996)
[下山]私の感想ですが,先生の御本を読んでいると,単純に心理の資格が欲しかったというだけでなく,「今の心理職のやり方ではダメなんだ」という宣言をしているように感じます。当時の臨床心理士は,内的世界重視一辺倒でした。そのような中で臨床心理士会の理事になって,「社会や人間関係に関わることが必要でしょ!」と主張されていたように思うのですが,どうでしょうか。あえていえば,当時の内的世界重視の心理職ワールドを壊したいというお気持ちはなかったのでしょうか。
[信田]私は壊すというより,「どうぞそのままお行きなさい」という感じでしたね。「私みたいな人でも投票してくれる会員がたくさんいるし,世の中はダイバーシティでどんどん変わってきてるし」という感じでしたね。それと,個人的なことですが,父親から「鶏口となるも牛後となるなかれ」と言われてきたこともありますね。「誰もやらないことをやれ」と言われてきたので,誰もやっていないところが好きなんです。
[下山]その感覚わかります。しかもダイバーシティの中の少数派でやりたいということですね。
[信田]そうです。おっしゃる通りです。
5.権力のヒエラルキーの中で協働を組み立てる
[下山]ダイバーシティということで,本当にさまざまな人々がいる。心理職の中にも,他の専門職の中にもいろいろな人達がいる。そのようなダイバーシティの中で協働していくコツはどのようなことでしょうか。アルコール依存症の治療では,「薬が効かないので医者の権力中心のヒエラルキーが成立しなかったことが協働するためには良かった」という趣旨のこともおっしゃられていた。その点も含めてダイバーシティな中で仕事をされてきた信田先生の長い経験から見出された協働のコツのようなものがあれば教えてください。
[信田]冒頭で下山さんが言われていた“権力”とものとすごく関わると思う。例えば,身長1 m の人が10人いて協働するのか,それとも身長3 m, 2 m, 1.5 mの人がいる中で協働するのはいかなることなのかということです。そこにある力の差を見ないといけない。協働というのは美しい言葉だから意味もなく使われる。しかし,それは残念なんです。協働は力の差を見ないといけない。力のある人は,力の差が見えない,残念ながら。そして,対等だと思いたがる。それは私も同じだと思います。
[下山]力を持っているというのは権力のことですか,それも能力のことですか。
[信田]権力です。権力と能力は無関係でしょ。能力はみんなわかるから協働に支障にならない。だけれども権力は違う。特に公的機関,たとえば省庁間の権力差などは協働において現実的な課題となる。私が対応していたアルコール依存症の家族は暴力まみれだった。そのため,21世紀になってからの私のメインな臨床は,ほとんど家族の暴力の問題を扱ってきた。事例も「今日明日,無事にいられるかどうか」「家に帰ると,息子がやってきて父を殺すかもしれない」といったもの,前夜に摂食障害の娘に花瓶で頭を割られて,包帯グルグル巻きの母親とあさイチで会うとか,われわれの機関では結構多いのです。
そうなったときに,「協働で誰を使えるか」ということが問われる。やっぱり弁護士,警察,それから児童相談所。一番,緊急度の高いときは警察ですよ。そういう意味で,国家権力を使って協働をしていく。弁護士という司法権力を使って介入することもある。だから,牧歌的に「全員同じ身長の5人が協働しましょう」という,春の野原みたいなものではない。ものすごい急な崖があって,強風が吹きつけている中でどうやってクライエントの安全を守るために協働をするか,それが私の考える協働ですね。
[下山]なるほどです。本来,協働は難しい。理想的な,春の野原の協働のようことを言っていたのでは協働はできないということですね。
[信田]そんなのやらなくていいよって思う。
[下山]ヒエラルキーがあるなら,そのヒエラルキーの中で,そのヒエラルキーを越えて新しい力を持って,協働を組み立てていくということですね。それが難しくても,どのようにするかを考えることが必要ですね。
6.心理職はリーダーシップをとることができるのか
[信田]要対協はご存知ですか。要保護児対策協議会のことです。要対協は,子どもの虐待防止法ができて,悲惨な事件が今後出ないように,いわゆる政府主導でできた協働の会議,つまり協議会です。機能はしているのだけれども,実際には協働は難しい。それは,誰がリーダーシップをとるのかで変わってくる。やっぱり,というか結局,医者がリーダーシップをとることになるんですよ。
[下山]それ聞いたことあります。結局,心理職は意見が言えないということでした。
[信田]心理職が国家資格となったとして,リーダーシップが取れるのかということです。要対協のような場で,虐待防止の対策をとっていく上で,心理職はリーダーシップをとることができるようになるにはどうしたらいいのか。それは,協働という言葉をさらに超えて,協働の中にある力関係の中で明確な方向性を出せるかどうかということです。それは技量の問題になってくると思うんですね。
[下山]それに関して言うなら,公認心理師カリキュラムではリーダーの教育は全くしてないですね。当然,公認心理師は,医者の権力の下の立場ですから,医者という権力を超えてリーダーシップをとるということは夢にも考えない。さきほど,先生は,「自分は哲学をやっていたから,自分たちに何かができる根拠を考えていく」という趣旨のことを話された。リーダーシップとは,その根拠を考える力と関わってくると思います。
権力とは,活動モデルと関わっていると思います。医学モデルでは医師が力,つまり権力をもち,リーダーシップをとりやすい。先生が言われているフォレンジック(Forensic;司法)モデルもそうです。裁判官,検事,弁護士が力をもつ。行政モデルでは,官僚が力をもつ。要するにモデルは,権力をどのように使うかを規定するもの。だから,力関係を越えていくためには,モデルを考えなければならない。
7.なぜ,日本の心理職は活動モデルをもてないのか
[下山]では,心理職のモデルをどうするのかということが課題になる。そのために,根拠を考え抜く思考力,哲学の力が重要となると思います。この力関係の構造を規定しているモデルはどのようなものか,そしてそれを超えるためにはどのようなモデルが必要なのか。それは,頭の使い方の問題だと思います。多くの心理職は,そのような発想にはなかなか行かない。
[信田]なぜ心理職のモデルはないのでしょうか?
[下山]それは,心理職がフロイトやユングのような偉大な人にモデルを与えられ,それに従うことが始まったからではないですかね。それに日本の心理職は,認知行動療法も含めて外国から与えられるモデルに従って行動することが習慣化していますね。医療ならば生物学的な,何か脳の変異があるから,こういう病気が出るというモデルができる。精神医学もそのような疾病のアナロジーでモデルを作っている。フォレンジック(司法)モデルも,このような犯罪があればこのように裁くと決めることができる。
ところが,“心”は,そもそも物のように形がない。そのために,決まったモデルが作りにくい。逆に言えば,どのようなモデルでも作ることができる。それで,日本でも森田療法や内観療法,動作法はあるにしても,多くは海外でさまざまな心理療法モデルが作られた。それを日本の心理職は一所懸命に取り入れ,それに従って忠誠を尽くそうとする。しかも,心というのは融通無碍で捉え所がない。それで心を扱おうとすると不安になりやすく,何らかのモデルにすがろうとする。
[信田]下山さんがそういうモデルを創ってくださいよ。
[下山]創りたいですよ。昔,“つなぎモデル”※2)というのを創っていたんです。関係の中で物事が動いていることを前提とした心理支援モデルなのですが……。
※2)”つなぎモデル”に関しては,『臨床心理学をまなぶ2 実践の基本』(下山晴彦著 東京大学出版会)の4章(249頁〜275頁)を参照。
[信田]つなぎ?
[下山]世の中の出来事は諸行無常であり,諸々の関係の中で動いている。心理職が目指すことは,その関係をつなぎ直していくというモデルを考えていたことがありました。
[信田]それは私,全く同感ですよ。
8.西田幾多郎の哲学でつながる
[下山]私は,心が捉え所ないものであっても,そもそも人間の存在はそういうものだと開き直ればよいと思います。ところが,多くの心理職は,心という訳の分かんないものを扱うために,何らかの確かなものを求めようとする。求めようとすればするほど,そのようなものはないので不安になる。それで,特定の心理療法のモデルや学派の理論に拠り所を求めるのではないかと思います。
そのような諸行無常の世界に関わる心理職だからこそ,自分たちのしていることの根拠を考え続けることが大切だと思っています。実は,私も哲学をしたくて大学に入ったということがあります。
[信田]特にどの哲学ですか。
[下山]西田幾多郎※3)をやりたかったんです。
※3)https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/japanese_philosophy/jp-nishida_guidance/
[信田]何となく分かるわ。
[下山]中学ぐらいのときに,“ものがある”ということがどういうことなのか分かんなくなったんですよ。「現実って何なんだ。存在するということはどういうことなんだ」ということが分からなくなって考え続けた。そしたら,実在や認識ということがわからなくなった。特に主観と客観の分裂に直面して動きがとれなくなった。そのようなときに西田哲学の“絶対矛盾の自己同一”ということに出会った。要するに思考や認識に優先して,そこに存在が生成する“場”があることが重要であるという理論ですね。
それで西田幾多郎の哲学を勉強したくて大学に入ったんですね。しかし,大学に入って研究会に参加してみると,高校時代からギリシャ語を勉強しているといった哲学オタクが何人もいて,これは自分のいる場所ではないと感じて,哲学をすることは観念したんです。その頃,アイデンティティ,つまり自我同一性という概念が心理学にも取り入れられていたので,絶対矛盾的自己同一にどこかで通じるかと思って,心理学に転向したんです。
[信田]私は,お茶の水女子大学で松村康平先生の研究室にいたのですが,松村先生も西田幾多郎が好きだったんですよ。松村先生は自分の考えを関係論と言っていた。その原点に西田幾多郎がいるんですよ。
[下山]なるほど。確か,松村先生は心理劇をやっておられましたね。その心理劇の原点は関係論だということを,何かで読んだことがありました。
[信田]確かに哲学で根拠を考えて心理職のモデルをしっかりと作らなければいけないですね。私は,その根拠として経済があるのではないかと思う。下山さんは,心は捉え所がないと言っていた。しかし,開業をしている私にとって,収入があるかどうかという点で経済は客観的な実在です。そこから心理職もモデルを考えられるのではないかと思っている。
—次号に続く—
■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)
■記録作成 by 北原祐理(東京大学 特任助教)
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臨床心理マガジン iNEXT 第21号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.21
◇編集長・発行人:下山晴彦
◇編集サポート:株式会社 遠見書房
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