1ST KISS

映画を観たあと、私は少しパンフレットに気をそそられたが脳裏に浮かんだ思いは「シナリオが欲しい」だった。会話劇を観たと言うよりも、言葉を食べた感覚だった。家に帰る道中、スマホで検索した。

「坂元裕二 Kiss」

急いで検索したもんだから、こんな検索になった。数字打ってアルファベット打ってが煩わしかった。だからって「ふぁーすと」と打って探すのは面倒で、「きす」で1段目に出てた「Kiss」を脚本家の名に添えて検索した。映画は公開されたばかりなのだから急いで検索しなくてもまだ出てくるはずなのに、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した『怪物』はよく立ち寄る本屋に公開時並んでいたのに今回は見かけてなかったから焦ったのだ。
出てきた。シナリオブックは発売されている。
ぶわっと溢れる数分前のほのかな甘さとレモンのような苦さが蘇る。しかし、まだカートに入れられない。まだ言葉を食べていたい。字で読んで噛みしめる前に、透明なレモン水の世界を味わっていたいのだ。

坂元裕二さんといえば、言葉の名手だと思う。これは私が言わなくても言わずもがなであろう。フィクションらしい言葉をなぜ日常に溶け込ませられるのか。芝居めいているのに的を射まくる不思議さ。それは坂元さんが書いた言葉だけでなく、演者、制作陣の力も伴っているはずなのだが、どうしても改めて観たいと思いながら言葉を読みたい脚本家だと思う。その思いが強くなったのが、公開されたばかりの『1ST KISS』だった。

恋愛と結婚の違いに、この人はなぜこんなにも核心をつくのだろうかと凄んでしまいました。その違いでだから私は恋愛もできないし、結婚も無理だろうなと思ったりするわけです。でも、ちょっとカンナと駈の2人を見ていいなと憧れてみたりもする。
まもなく図書館に返却しなければいけない本がある。その本はエッセイ。まるで作者が目の前で話しているようだから、電車で開くとつい乗り過ごさないか不安になる。帰れば撮りためたドラマを観ていたら寝てしまう。ちびちび読んで楽しんでいた。映画を観た帰りも電車で読むだろうと思っていたら、映画のことが忘れられなくて、言葉を噛み締めていたくて本を読めなかった。
これらの思いは紛れもなく発せられる言葉に、つまりは坂元さんが紡いだ言葉に掴まれたことは間違いないのです。

会話という言葉のあやに人は惹かれたり、惑わされたりする。良くも悪くも会話というのは武器になる。人を包み込めたり、傷つけたり。どうにかしたかったり、してほしかったり。想いあっていてもチクリと気になることがある。人間は2進法で済まない複雑な生き物な上に言葉を持ってしまったから、それぞれの掛け算が合わなくて歩み寄るはずがすれ違いになってしまうことが多々ある。
そうであっても、その会話がどれだけ大切かを思い知るのだ。SF要素はあるけれど、ガッツリ会話劇で教えてくる。言葉の名手、坂元裕二がだ。よいフィルターやおいしい水で作られたコーヒーでも、部屋を満たすコーヒーの匂いの割合を占めるのはろ過された豆から香るように。

その会話劇の中身をぜひ皆も味わってほしい。
味わって味わって、誰かに伝えてください。できたら、会話でね。

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