愛と赦しの自分物語
映画「パウロ 愛と赦しの物語」の
中で、パウロは、長官マウリティウスに次のように語るのである。
「この世の人生は、手ですくった
水のようなものである。どんどん
指の間から流れ落ちてゆく。
その一滴のために、この世の人は
躍起になる。でも、クリスチャンは、手ですくった水でなく、その水を
すくった大海を見ているのである。」
聖書にもまたパウロの言葉が、
次のように表現されている。
「わたしたちは、見えるものでは
なく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは、一時的であり、
見えないものは、永遠に続くので
ある」
~コリント人への第二の手紙4-18~
ここで、目に見えるモノやコトが
大事ではないと言っているわけでは
ない。
目に見えるモノやコトを大事と思う
ならば、目に見えないモノやコトを
大事にせよと言っているのである。
では、大事にすべき目に見えない
モノとは何か?
それは、愛である。
なぜならば、すべての現象の
源には、愛が潜んでいるから
である。
その愛のカタチが、そのまま
現象となり現れるからである。
愛の多寡が、人生を決める
のである。
であるならば、愛を育むこと。
これが何よりも大事となるわけで
ある。
人生とは、つまるところ、
愛と赦しの自分物語なのである。