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当たり前を究める
自分自身を見つめると、
当たり前のことをおろそかにする。
そういう傾向の人間であることに
気づくのである。
当たり前をきれいごとととらえ、
軽視してしまう類いの人間である。
であるのに、当たり前のことを
究めることを生業としてきたわけで
あるから、人生は、摩訶不思議で
ある。
「時を守り、場を浄め、礼を正す」
これは、教育哲学者の森信三氏が、
提唱した「再建の三大原理」である。
これは、家庭、学校、企業等いかなる組織においても、その再建が約束される原理原則である。
日本人ならば、当たり前であるこの原理原則を、ウガンダにて、野球指導を通して定着させる試みを実践したわけである。
ウガンダの生徒たちが、自らが育った文化にない習慣を実践するためには、それなりの理論がなければならない。
「なぜ時間を守るのか」
「なぜ掃除をするのか」
「なぜ挨拶をするのか」
実践した時のメリット、実践しなかった時のデメリットを懇切丁寧に伝えていったわけである。
異国の地で、日本人の「当たり前を
究めること」に挑んだのである。
そして、その恩恵を一番受けたのは、自分自身だったのである。
自らが、「再建の三原則」を
深く理解できたゆえに、率先垂範、
結果として、選手たちのお手本になることができたのである。
あれから、14年が経ち、その間、
自らの「家族と家系の調和」に
挑んできたのである。
決して意図して取り組んだ
わけではない。
家族離散の危機に瀕し、
やむにやまれず家族に向き合った
わけである。
しかし、結果として、また
「当たり前のこと」を深掘りした
のである。
家族や家系が我が人生にとってどんな役割を果たしているのか。
この理屈がわかってきたのである。
そして、家族や家系の繋ぎかたの
ポイントが、わかってきたのである。
ただ家族や家系のつながりは、
目に見えない内面世界の領域で
ある。
それゆえ、家族のつながりの
改善具合を他人に見せたり、表現することは、とても難しいのである。
でも、やらねばならないのである。
なぜならば、「家族や家系の調和」無くして、「再建の三原則」は、成り立たないからである。
家族愛無き、「再建の三原則」は、
奴隷の躾となるからである。
そして、「家族と家系の調和」が
実現できれば、「再建の三原則」は、自ずとできてしまう。
このことに気づいたからである。
だから「両親に感謝すること」
「ご先祖を敬うこと」
これをとことん究めたいのである。
またもや、自分がおろそかにして
きた当たり前なことを、飽きもせず、深掘りしようとしているわけである。
どうやら、これが、自分という人間なのである。