![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147000906/rectangle_large_type_2_0e19efd391b7342447a5978163858664.png?width=1200)
Photo by
chiyoizmo
命を懸けるということ
命を懸けるとは、物事に全生命を
打ち込む。 命がけで物事をする。
また、命をあずけてたよる。
生死を任せることをいう。
「志を得ざれば二度とこの地を踏まず」
野口英世の生家の柱に彫られた言葉である。
ウガンダに赴任する18年前、ここを
訪れ、この言葉が胸に刻まれたので
ある。
自分も同じ心境だったからである。
日本に家族を残し、職を辞して赴任するウガンダでの国際ボランティア活動に、どれほどの意味と価値があるのか。
あの時は、まったく説明が、つかなかったのである。
だから、「やるだけやるしかなかった」のである。
死ぬ時に、「やるだけやった」と言いきれる、そのような活動にしなければ、ならなかったのである。
「命を懸ける」という感覚は、
自分ではわからないのである。
しかし、「死んでも、成し遂げなければならない」という感覚で、物事に取り組むことを、「命を懸ける」というならば、それに近い感覚があったかもしれないと、今では思うのである。
なぜならば、18年経った今、ウガンダの野球は、想像をはるかに超えた奇跡的な発展を遂げているからである。
なぜこうなっているのか。
自分でも曖昧なのである。
だから、またウガンダに戻らねば
ならないのである。
「ウガンダ野球が、なぜ発展したのか」
この答えを、この目で、確かめねば、死んでも死にきれないと思ったからである。