「人生二度なし」という真理
「人生二度なし。これ人生における
最大最深の真理なり」
「人生というものは、限りあるものであり、しかもそれは、二度と繰り返すことのできないものです。してみると、そこに許された人生の真の生き方というものは、この限られた年限を、いかに深く生きるかということの外ないわけです」
「人生を生きることの深さは、実は
人生を知ることの深さであり、人生を内面的に洞察することの深さと申してもよいでしょう。」
「求道とは、この二度とない人生を
いかに生きるかという根本問題と取り組んで、つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい」
「すべての人間には、天から授けられた受け持ち(分)がある。したがって、
もしこの一事に徹したら、人間には、本来優劣の言えないことが分かる」
「逆境は、神の恩寵的試練なり。
いかに痛苦な人生であろうとも、
「生」を与えられたということほど、大なる恩恵は、この地上にはない。
そして、この点をハッキリと知らすのが、真の宗教というものであろう。」
「職業とは、人間各自が、その「生」を支えるとともに、さらにこの地上に生をうけたことの意義を実現するために、不可避な道である。されば、職業即天職観に、人々は、徹すべきであろう。」
~神渡良平「森信三の世界」より~
40歳の時に、森信三の言葉にしびれたのは、そこに真理があったからで
ある。
口先や誰かの言葉の引用ではなく、
自らの実践から体得した、唯一無二の真理があったからである。
だから、自分も「かくありたい」と
願ったのである。
自分もまた、自らの人生から、
真理を得て、それを伝えたいと
願ったのである。
あらためて思うに、森信三の言葉に
出逢った時には、わからなかった
のである。
本当の意味で、その言葉の深さが、
理解できなかったのである。
であるのに、感動したのである。
それは、すべて、予習だったので
ある。
これから直面することへの備えだったのである。
決して命とりにならないようにと、
受け身のような役割を果たす。
そのような言葉だったわけである。
あの頃は、わからなくて良かった
のである。経験したのちに、
腹に落ちれば良いというレベルの
言葉だったのである。
「人生二度なし」
この真理が、自らの根っこに
深く横たわっていたのである。
だから森信三の言葉に、たとえ
理解できなくとも、しびれてしまったわけである。