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呪われた夢
「一人一人が幸せになることが目的だ。自分が幸せになることが目的だっていう人生の。どうも俺納得できないんですよ。自分が生きる目的は自分が幸せになることだと思う?
普段幸せだなあなんて思ったことないんですよ。僕は。
そんなこと目的に生きてるとはとても思えない。飛行機の設計家とか、
機械を生産設計した人たちっていうのは、どんなにその時、善だと思ってやっても、やっぱり時代の風化の中で、機械文明そのものの手先になるから無傷じゃないんですよ。
呪われた夢なんです。今の人類の夢っていうのは、みんな呪われていますよ。どっかで。美しくも呪われた夢ってことが多いんですよ。
~宮崎駿氏の言葉~
自らの幸福追究のために生きてきたのである。自らの夢の実現が、自らの幸福追究の道と信じ、生きてきたのである。
しかしある時、自らの追究してきた夢が、美しくも呪われた夢であったことに気づいたわけである。
悪魔的な価値観が支配するこの世界で抱く夢は、すべて呪われた夢だと確信するに至ったからである。
ほどなくして、完全に、夢を失った
わけである。
進むべき方向性を失ったのである。
しかし、夢や方向性を失ったことで、自らの奥深くに潜在する悪魔的価値観に気づきはじめたのである。
残忍で冷徹、極めて利己的であり、
恐怖で支配を試みる自らの気質が
浮かび上がってきたのである。
つまるところ、呪われた自分だったのである。それゆえ、美しくも呪われた夢を抱いていたということに気づいてしまったわけである。
そして今、新たな夢が芽生えてきたのである。
新たな夢は、呪われた夢でないと
信じたいが、それは、定かではない。
ただこれまでと違うのは、追究すべき幸福が、自らの外面世界ではなく、
内面世界にあるということである。
内面世界の穏やかさこそ、自らの
目指す幸福感、豊かさ、その獲得こそ我が夢と気づいたのである。
目に見える夢の実現は、そこに
至るための副産物に過ぎないと
気づいたのである。
すべては、ただ幸せになるために
生きてきたから、気づいたことなのである。