無駄死に対する恐怖
「無駄死に」とは、役に立たない死に方、無益の死を意味する。
自らの死に対する恐怖を詳しく調べてみると、そのほとんどは、無駄死にすることに対する恐怖なのだと理解できたのである。
ここでいう自分にとっての
「無駄死に」とは、自分のことを
知らずに死ぬことである。
「自分とは何者か」
「自分は何のために生まれたのか」
「自分の人生のテーマは何か」
「自分の使命、役割とは何か」
これをわからずに死ぬことを無駄死にと考えていたのである。
それゆえ、いっも焦燥感に駆られていたのである。
「このままでは、死んでも死にきれない」という切迫感で生きてきたのである。
「自分が何者かわからずに死ぬこと」
これをとても恐れていたのである。
「生まれてきた理由も知らずに死ぬこと」
これがとても怖かったのである。
しかし、今は、その無駄死に対する
恐怖が、小さくなったことを感じる
のである。
なぜならば、自分の存在理由が、
少しずつ明らかになってきたから
である。
それゆえ、これまで自分を駆り立ててきた焦燥感や切迫感があまりないのである。
だから、これまでの人生のすべてに
感謝し、毎日を感謝と祈りとともに淡々と生きてゆきたい。
心底そう思える。
そのような自分になってきた
のである。