協調性がない私
私は協調性が無いと子供の頃から言われ続けてきた。
小学生時代のエピソードとこれから私はどうするのかを残しておきたいと思い本記事を書くに至る。
授業をやってみろと言われる。
小学1年生の学校教育が私には物足りなかった、
足し算や引き算を周りの生徒と同じようにこなしていくのが、時間の無駄だとか思っていた。
ある日、担任の先生に
「先生がやってる授業なんか俺でもできる」と言い放ちそれに対して、
「じゃあ、お前がやってみろ」と言われた、もしかしたらこれが一人で人前に初めて立った初めての経験かもしれない。
私は席を立ち教室の前の教卓に向かって歩いた、周りの生徒が私を見ている。教卓の前に立つと更にその視線の多さに緊張が走った。
しかし、後には引けない、先生も黙って私を冷たい目で見ている。
教科書の何ページを開いてください、
猿の足し算をするページだったか、
ここに今猿が3匹遊んでいます、2匹仲間に入れて欲しいと言って仲間に入れてあげたら合計何匹の猿で遊ぶことになりますか。のような問題だった
仲のよく、頭も良かったD君を指名し答えてもらい。
どんどん問題を進めた。
あるところで先生が立ち上がった。
怒られるんだと覚悟を決めたが、先生は怒るどころか
「素晴らしい、皆さん拍手!」と言って褒めてくれた。その時は、「ほれ見ろ」と心の中で思っていた。
しかし、今20歳後半になって思う。
いかに先生の対応に救われたか、協調性が無くても褒められる事もあるんだなと気づく事ができた。
その小学生時代の経験から、私は自分が思うように行動し生きてきた。
これからどうするか。
現在私は所謂大手企業に勤めている。何も努力しなくても多額の給料も手当も手に入れる事ができる。
言われた事を嫌々でもやってればそれでいいのだ。
しかしそんな場所は協調性がない私がいるべき場所ではない。自分のやりたい事をひたすらに行うのが私だ。
今の仕事を辞める事を決意した。
世界中の人は誰かに言われた事をやる人生を生きる必要は無いはずだ。
特に日本人は自我を殺してでも生きていくのが当たり前というような精神状態になっていると感じる。
日本人全員が自分の思うがままに生きていけるそんなビジネスをできたら、私もみんなもハッピーじゃないかな。
Tanaka Yuki