ジェーン・アダムズ 『The House that Jane Built』
Jane Addamsは米国人には馴染み深い 絵本に贈られる賞にもその名を冠し
雛祭りに出会った一冊は アメリカ女性初のノーベル平和賞受賞者の物語
伊藤野枝以来の衝撃 “find a way to fix the world”
本を読むとからだに沁み渡ってゆくもの くっきりと心に刻まれる物語の力
その時代の空気に迎え入れられ 暫し未知なる世界であらたな友と交わる
ブラウンの描く夜の静けさ 内に満ちる感情のゆらぎは止められてはいない
そとからの視点を保って 周囲の自然までもそのまま頁に現れる
音 空気の振動 湿った草の匂い 直にふれたくなる物ものが丁寧に拾われ
夜は暗いばかりではない 空は迷いや失意をどうみているのだらう
世界の不均衡 小さい頃に迷い込んだ路地 道端や大きな駅 雨の河川敷で
あらたな景色に会う度ざわめいた心 誰もが感じてきたであろう不平等性に
立ち向かってゆく 対話することをやめなかったEmpathyのひと
わたしたちはそれぞれが違っている 顔かたち 声 考え 思い 夢 愛
差がない部分も少なくないやも ひとの悩みや願いの多くは共通する
各々がすなおに生きるなら 世界の色あいは深みを増しかろやかになろう
同じではない人生を歩み続ける 兄弟であれ環境の感じ方は異なるもの
それでも人間であることは等しく 誰にも訪れる波の捉えかた一つ
自分がなすべきことに気付く瞬間 幼い頃に感じた情熱が形を取り始め
実際に行動を起こす女性の芯の強さ こどもたちに寄り添い耳を傾ける姿勢
浴場前で寛ぐ人々の装い 表情の明るさ 湯がもたらす安らぎ
優しい線はJaneの気質を表すかのやう 彼女の描くまぶたのうつくしいこと
威厳に満ちたこどもたちへの教授 まなざしの尊さ おだやかな雰囲気
パン焼きや機織り 日常のいとなみのうつくしさがあふれている
『The House that Jane Built A STORY ABOUT Jane Addams』
(TANYA LEE STONE, illustrated by KATHRYN BROWN・’15・HENRY HOLT) https://www.youtube.com/watch?v=qITsQKHAZy8
『SHE SPOKE』のサイトにも紹介あり / 伊藤野枝 / empowerment
Janeの伝記や図書も沢山。彼女自身は11冊の著書、100を超える記事を執筆している。
・トインビー・ホール Toynbee Hall (London), ハル・ハウス Hull House (Chicago, IL) セツルメント(生活向上を図る社会運動), 隣保館(地域住民のための社会教育・福祉活動を行う施設)病を得て欧州旅行に出たJane。トインビー・ホールで見聞きしたことがハルハウス構想のヒントに。細民街を切り離すのではなく、富裕層の住宅街にセツルメント・ハウスを設置し、富める人と現在下層に位置する人とを混ぜ、互いに学び合う場を生み出した。温かなスープを施すのではなく、調理法を教え、将来の暮らしを支える力を養うことを軸とした。
・豪華な邸宅に居住できる身でありながら、ギャング・禁酒法・アルカポネのイメージ濃いシカゴのスラム街に大きな家を借りて移り住み、助けが必要なすべての人及びコミュニティに対して扉を開き続けた(鍵を常時開けておくという決意も)。水道のない家に暮らす人が多いことから公衆浴場を設置し疾病対策にも取り組む。在野の人が先陣を切ってコミュニティ内における公共施設の必要性を示した。
・運営資金の寄付や技術提供など、各人毎の関わりがハル・ハウスを逞しくした。友人たちのつながり合いから相互作用も生じる。Janeは一人ですべてを行おうとはしなかった。たくさんの協力者のほか、初期から彼女のよきパートナーであったEllen Gates Starrの存在も。彼女の父親は当時には珍しく女性にも教育が必要と信じ、進学を勧める。町の図書館の二倍量を有する彼の蔵書に囲まれ、熱心に読んだよう。
・ハルハウスに集まった人々のバックグラウンド
1889.9(設立)〜1899 ヨーロッパ諸国からの移民
(シカゴ人口1,000,000人の殆どが移民。より良い暮らしを求めてやって来たものの、英語を話さず、よい仕事に就くにはハードルがあった)
1920年代 アフリカ系アメリカ人、メキシカン
1935 メキシカン、ユダヤ、イタリアの子どもとの写真が残る
・全米有色人種地位向上協会(NAACP)、米国自由人権協会(ACLU)創設のほか多数の組織への関わり、女性参政権へのアクション等精力的に活動。
・ハルハウスでの仕事に加え、各国を飛び回り反戦を訴える平和活動者でもあった。
1900年代にはJaneは世界で最も有名な女性になる。ハウスの視察者や彼女を一目見ようと訪れる人が絶えなかった。
・塩澤昌貞(のち早稲田大学学長)も1年間ハルハウスに滞在した。