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「節目」

9月から新しく仕事を始めるにあたり、
古い資料を整理していたら、
新卒1年目のときに課題で書いた、
「社会人になるにあたって」
という文章が出てきた。

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社会人になるにあたり、22年間を振り返ることにした。

小、中、高、大と節目ごとに懐古することはあったが、
当時は、
時間はあっという間だなとか、
〇〇は楽しかっただとか、
ただ過ごした時間を懐かしむ程度であった。
そのため、要らない教科書を捨てるのと同様に、
嫌なこと、やり残したことは忘れて、
気持ちを新たにスタート出来る良い機会であった。
ゆえに、この先はっきりとした節目がない
というのは若干の恐怖でもある。

そもそも節目は何をもって節目と呼ぶのだろう。
何かが変化するから節目と呼ぶわけで、
それでは、今までは何が変化して、
今回は何が変化するのだろうか。

今までの一番の変化は自由度だと私は思う。
小、中、高、大と年を追うごとに自由なことが増えている。

例えば、
義務教育では勉強する教科が全て決められているが、
高校では文系理系などある程度自分の学びたい教科を選べるようになる。
さらに、大学では、受ける授業は勿論、
何時に起き、いつご飯を食べるかなど
全てのことが自由に決められるようになる。

しかし、自由になればなるほど、
生きることに困難を感じていた自分に気が付いた。

自由であるがゆえに、選択はすべて自分の責任になり、
すべて自分に返ってくる。
これが大人になっていくということだと私は思う。

今まで勝手に決められたと思っていたものも、
誰かが決めてくれていて、責任を負ってもらっていたのだ。

この責任に加えて、
お金などの利益や評価が発生するのが社会人である。
今回の一番の変化はそれだと思う。
このお金や評価は自分だけのものではない。
だからこそ、周囲を巻き込まないよう、
社会人としての自覚、責任を持て、とよく言われるのだろう。

しかし、よし!持とう!と思ったところで持てるものではない。
意図が自然と汲み取られ評価してもらえていた学生を脱し、
評価の場さえ自分で獲得しなきゃならない状況で、
自分がいかに価値ある人間か伝えようともがく中で、
社会人としての本当の自覚と責任を身に付け、
会社に貢献していきたいと思う。

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昔から当たり前なことをダラダラと語るところも
自由すぎることに困難を感じるところも
全然変わってないんだなぁと恥ずかしい気持ちになった。

そして今日も今日とて、
わたしは無難な生き方をしている。
自分が傷つかないために。

でもそれもわりと楽しいのよ。
まあ『異端なスター』に憧れる時もあるけどね。


いつからか薄っぺらい友情や
寂しさ予防の恋愛が溢れかえる街で
非難の声恐れて無難な生き方貫いて
自分らしさにさえ無関心になって

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