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オーストラリア・QLD州のインクルーシブ教育②

はじめに
 
 前記事(クイーンズランド州の公立高校で見たインクルーシブ教育①)
に引き続き、オーストラリアのクイーンズランド州のインクルーシブ教育について、調査訪問した学校の様子を紹介しながら述べたいと思います。2018年、2019年と私たちの研究チームは、クイーンズランド州北東部にあるケアンズの3つの学校を訪問しました。3校のうち2校は公立校(州立)で、一校が小学校、一校が高校です。ちなみに当地では、小学校の卒業後、7年生から高校に進学します。高校は、公立校の場合は選抜はありません。
 クイーンズランド州の学校の約3分の2を占める公立校ですが、社会経済的背景が厳しい家庭や先住民の家庭の子ども、そして、近年増えている難民の子どもは、その多くが無償の公立校に就学します。ですので、公立校は経済的背景や言語、文化の面でより多様な生徒を迎え、その分、教育課題も多いと言えます。そして、障害だけではなく、多様な言語、文化、ニーズに対応する教育を行うことがこの地にける「インクルージョン」の特徴です。特に、オーストラリアでは、多文化教育とインクルーシブ教育は重なる部分が大きいと言えます。
   以下、私たちが訪問したケアンズのある公立高校について、紹介します。この高校は、二年連続で訪問した学校ですが、多様な人種の子どもが活発に学びあう学校です。特に、同校は、州の中でも、先住民の生徒の割合が高い学校で、1600人ほどいる生徒の約3分の1が先住民の家庭出身です。この高校は、インクルーシブ教育を重視していることを学校紹介のパンフレットにも明記しており、どのような背景やニーズをもつ子どもも学校として尊重しケアしていく姿勢が示されています。
 
インクルージョンの取り組み
 
 障害のある子どもに対しては、
州の合理的調整(日本でいう合理的配慮)の仕組みにより、その障害の程度に応じて、授業に教員補助が入り、可能な限り、他の生徒と同じ環境で学べるよう支援がなされていました。当地の高校では、大学のように、生徒の方が自分の取る授業に合わせて教室を移動する仕組みになりますが、特別支援コーディネーターの教員の調整により、個々の生徒の移動に合わせ支援が提供されていました。
 特に印象的だったのは、聴覚障害の生徒が、教室で他の生徒と共に授業を受けていた授業風景です。映画に関する授業だったと思いますが、二十人ほどの生徒を相手に授業を行う教員の横で、手話通訳する教員補助のスタッフがいました。この教員補助は、教員の説明だけでなく、議論における他の生徒の意見も通訳して、聴覚障害の生徒に伝え、授業への参加を支えていました。

 また、別の教室では、体に麻痺があり、電動車椅子で移動している生徒が、教員補助の支援を部分的に得ながら、コンピューターに関する授業を受けている場面も見られました。

 障害のタイプによっては、特別支援教室で個別指導を一定時間受ける生徒もいましたが、州の「合理的調整」の考え方としては、可能な限り皆と「共に学ぶ」教育の機会の保障をめざして先のような支援が行われていました。
 もう一つ興味深かったのが、障害のない生徒も、この特別支援教室に学びに来る授業があったことです。その一つは、オーストラリアの手話(オーズラン)の授業です。この授業では、聴覚障害のない生徒もある生徒も同じ教室で手話を学ぶ姿がありました。
 特別支援コーディネーターの教員によれば、このようにさまざまな障害のある生徒が共に学べる環境が整ってくるには、2005年のインクルーシブ教育宣言以降、十数年の歳月がかかったと言います。その間に、環境整備や実践が少しずつ積み重ねられ、さまざまな障害のある子どもが、特別学校ではなく、この「地域の学校」に通えるようになってきました。
 この高校の利点の一つは、後者の隣に、成人教育の場としても使われる技能研修施設があることです。この施設を使って、多様な職場で働く技能の実地訓練ができ、障害のある生徒の就職と社会参加を支えていると聞きました。特別支援コーディネーターが、次のように語った一言が特に印象的でした。「障害があるからと言って、働けないことの言い訳にはなりません。」この言葉については、日本の我々からすると色んな反応があると思います。ただ、そのようにこのコーディネーターが力強く語った背景には、これまでに多数の障害のある生徒を就労の場に送り出してきたという自負があるのだと感じました。
 障害者がコミュニティの活動に参加する権利として、働き収入を得るということも重要な側面であると思います。そうした意味では、学校が、教育から職場への橋渡しをする、すなわち、進路保障も、インクルーシブ教育の重要な側面だと言えましょう。ただ、日本では、障害のある生徒の有効進進路保障の場は、特別支援学校であるとの見方が根強くあります。こうした見方があることも、特別支援学校に入学する児童生徒が増えていることの一因だと考えられます。他方で、多くの普通高校においても、障害のある生徒の進路保障に関する役割意識が乏しく、環境を十分整備してこなかったという問題もあるでしょう。
こうした状況を変え、障害者の労働も含めた社会参加を拡大していくためには、①政府が主導し、企業等の障害者雇用の門戸をさらに拡大すること、②それに合わせて、特別支援学校の高等部だけではなく、普通高校もまた障害のある生徒の就労にむけた進路保障の環境の整備に努めること、この二点が必要だと感じました。それに合わせて、共生社会構築の観点から、障害のある子どもに対して、普通高校もさらにり門戸を開いていかねばなりません。
 
インクルーシブ教育の多様な側面
 
 この学校のインクルーシブ教育の実践には、障害のある生徒の対応以外にも様々な側面があります。一つは、アボリジニなど先住民に関する教育保障の取り組みです。前号でもふれましたが、アボリジニなど先住民は、多様な部族の言語と固有の価値観や(概して静かで控えめな)コミュニケーションスタイルを持っていますが、そうした文化的なギャップにより、学校教育の面で大きな課題があるといわれています。
 特に、先住民の生徒について、この学校では、不登校対策や学力保障の取り組みがなされています。それに加え、オーストラリアの土地が、先住民の居住地であったこと、また、先住民に対する差別が歴史的に存在したとの認識に立ち、先住民の歴史や文化をカリキュラムの中で学ぶ機会もつくられていると聞きました。
 一方で、近年、この高校周辺の地域では、アフリカやアジアからの難民の生徒が増えており、生徒の生活や教育の支援が喫緊の課題となっています。筆者らの調査中、そうした生徒の英語教育の授業を見たり、担当する教員に聞き取りを行ったりしました。そこで聞いた生徒の教育や家庭生活の問題は、近年、日本でも増えている外国人労働者の子どもの教育課題と大きく重なるものでした。ともかく、かれらの教育を保障し、社会参加への道筋を築くことも、この高校のインクルーシブ教育の一部として捉えられています。
 このようなインクルーシブ教育の取り組みの成果は何なのかと、この学校の教頭に尋ねたところ、次のように語ってくれました。「学校がようやく、実際の社会に近づいてきた」と。さらりと語られた一言でしたが、意味深長でした。学校という場所は、特に 年齢段階が上がるほど、同質的になり、障害のある人など、マイノリティが少ない場になっていきがちです。それは、見方を変えれば、より排除的で非共生的な環境になっていくということでもあります。学校が、学ぶ人の構成において、それを取り巻く社会の現実に近づいているのかどうか、これは、インクルージョンを測る物差しといえるかもしれません。


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