見出し画像

クズ大学院生が無事卒業できそう

 "り"です。先日、修論の仮提出が完了しました。僕の大学院はまず主任教授(研究室の教授)からOKをもらい提出したあと、副主任の教授からのアドバイスを受けて再度提出する方式をとっており、前者を仮提出、後者を本提出と呼んでいます。ここで本提出よりも仮提出の方が重要で、その理由は、研究全くしていない人や卒業できる見込みがない人は仮提出ができないというか、出さしてもらえないので、仮提出さえすれば実質勝ちみたいな感じだからです。本提出は大学院ガチ勢がより良い修論を作るためにあるようなものだと勝手に思い込んでいます。
 タイトルの通り、僕はクズ大学院生なので、仮提出できたことに満足しています。このnoteを呼んでいる人はおそらく「大学院 鬱」とか「大学院 卒業できない」、「ダメ大学院生」などを検索した結果、辿り着いていると思います。僕自身何度も検索したのでよくわかります笑。今回は、そんな僕が無事大学院を卒業できそうなので(まだ最終発表があるからできるとは限らないが多分できる)、この2年間の過程を振り返りながら、大学院を卒業できるか不安な人たちに少しでも元気を与えれたらなと思います。

1年 前期

 以前にも書いたのですが、僕は大学時代も当然遊んでいました。遊んでいたレベルを伝えるなら、4年の後期まで授業受けていたし、インターンは当然参加したことない、同じ大学の大学院に進学したのですが、勉強しなさすぎて推薦受験で落ちたあと、背水の陣で一般受験を受け合格を勝ち取った、といった感じです。ちなみに推薦入試は50人受けて5人しか落ちてなかったです笑。

 でも、なんだかんだ大学院に入学することができ、大学生活はサボりすぎたと自覚していたので、大学院入学当初は真面目に頑張ろうと思い、ほぼ毎日学校に行き、授業をサボらず出席、インターンに参加したりしていました。この時は研究は一切考えず、授業とインターンに専念していた感じです。この頃は研究室のメンバーも似たような感じでした。

1年 夏休み

 夏休みは1週間のインターンに参加したことが最も頑張ったことですかね。それ以外はあまり記憶がないですが、ダラダラ生活していた気がします。でも学校は週3回くらい行ってました。ちなみに僕の研究室はコアタイムがない研究室でした。あと、研究室内での発表とかも一切なかったです。その理由は、僕の研究室は基本的に学部時代優秀な生徒が集まる場所で、教授が縛りを作らずとも自ら研究に励む生徒が多いからです。クズ大学院生には最高で最悪な環境ですね笑。それはさておき、研究室に行くと確か周りは論文を読んだりしていましたが、僕は研究するために大学院に進学したのではなく、就活サボってたから大学院進学した人なので、研究は根本的にやる気がないため全く行っておらず、すごいなーと思いながら研究室のメンバーを見ていました。でも僕も何かしないといけないかなと思い、情報系なので画像に関する研究をしたいなーとぼんやり考えながら、学部時代に学んでおかないといけない深層学習や機械学習全般の勉強を参考書を使って今更勉強していました。
 しかし入学して半年ほど経つので、夏休みの終わりに研究の進捗報告がレポートがありました。でも今書いたように、研究は全くしていないので書く内容がなかったです。専攻は情報系ですが、その中でも医療に特化した研究室だったので、「医療に関する画像研究がしたい!」「医療画像を用いた機械学習では一般的にこういう問題がある!」みたいな当たり障りのないことを書きました。でも、周りはちゃんと夏休みの間研究していたので先生とアポを取って研究方針を決めたりしており、なんだか劣等感を感じたのを覚えています。この辺りから少しずつ「大学院 鬱」とか「大学院 不安」みたいなワードを調べていくようになりましたね。

2年 後期

 修士1年前期の単位は、大学1年生前以来のフル単でした。だから後期はオンライン授業の影響もあって学校に行く必要がある日は、コアタイムもないので週2回とかでした。また、夏休みに勉強をある程度したおかげで研究で必要な知識は身についたけど、いざ研究しようとなるとまずは論文読まないといけなく、面倒くさいと思ったので研究は全くしてなかったです。まず研究に対するやる気もありませんしね。このあたりから少しずつ劣等感も相まってだれていきました。
 でも10月か11月に中間発表が予定されていました。さすがに夏休みのレポートとは違い、みんなの前で発表なので最低限は資料を揃えないといけないと感じました。でも論文読むのは嫌。でも資料は作らないといけない。埒が開かないし、よく考えたら仮に論文読んだとしても、どうすればいいのかわからないから意味ないなと思ったので、ここでようやく大学院入学して初めて教授に相談しました。そしたら博士課程で画像を専門にしている人がいるから、その人と一緒に話し合いをしようとなって、後日話し合いをした結果、ぼんやりとやることが決まったので、実験を行い、その結果をまとめて中間発表に挑みました。
 でも、先の話し合いでやると決めたことを僕がバカすぎて理解できておらず、訳のわからない実験を行い、その結果で中間発表を行ったので、中間発表は公開処刑でした。多分、公開処刑という言葉はこの中間発表の僕の有り様を表すために生まれてきたのだな、と感じるくらいひどかったです。話し合いの後、実験を行った結果を教授に見せていれば中間発表の出来は変わっていたかもれませんが、教授と話すのなんかできるだけ避けたいし、そもそも研究はやる気がないので、当時は教授ともう一回話し合いなんてする余地がなかったです。
 この中間発表で研究というものに対しての劣等感や嫌悪感が更に高まり、研究に関わることが嫌になりました。12月に入ってからは、就活はスタートダッシュが大切!という情報を学部の頃周りから聞いていたし、将来いい会社に就職して幸せになるんだー!と息混んでいたのもあって、冬休みも込みでずっと就活に専念しつつ、授業だけは受けるというスタンスでした。だから授業受けたら即帰宅していました。ちなみに研究室のメンバーは授業後も残って論文読んだり、資格の勉強したりしてました。

1年 春休み

 春休みも就活に専念していました。ただ、後期と変わったことは学校に全く行かなくなりました。就活するというのを建前に研究からは逃げており、学校はサボりまくっていましたね。まぁ研究室のメンバーが毎日学校に行っていたが故に感覚がおかしいだけで、コアタイムないから学校サボるという概念はないのですが・・・。
 でも夏休みの終わりと同様に、研究の進捗をレポート提出しなければいけませんでした。しかし研究は中間発表以来全くしておらず、困りました。結局中間発表と全く同じ内容をレポートに書いて提出しました。ちなみに中間発表するために行った実験は内容が間違っていたと書きましたが、その間違った内容のまま今回もレポートに書いて提出しました。主任教授のチェックを受けて提出するのですが、「色々頑張ってますか?研究頑張りましょう!」という突き放すというか、こちらから歩み寄ることはありませんよという雰囲気の返信がチャットできましたね。研究レポートを提出した開放感と、無能故の絶望感が絡まったカオスな感情になったのを覚えています。就活は早めに行動した甲斐もあってか、3月下旬に終わりました。

2年 前期

 2年前期は、単位に関しては修論以外取り切ったので授業はなく、就活も終わったので残すは研究に専念するのみという状況でした。しかし相変わらずやる気は出なかったです。この頃は筋トレしてギャンブルしての繰り返しでした。この二つは今までもやっていましたが、この時期はこの二つ以外やった記憶がないです。研究室には月1回行くか行かないかといった感じでした。6月終わりくらいまではこの生活を続けていました。この頃が一番大学院辞めたいと思っていました。ほぼ毎日「大学院 退学」とか「ダメ大学院生」って調べていました。でも月日が経つごとに修論に関する焦りが増加していった感覚はなんとなくですが覚えています。
 そのためか7月入ったくらいでいよいよ本腰入れないと卒業できないのではないかと思い、中間発表前以来、重い腰を上げて教授と博士課程の人との面談を行いました。そこで全く研究をしていないということを正直に伝えました。すると博士課程の人が、今やっている研究でこういう問題があるのでこの問題の解決方法を考えてみてはどうかという研究テーマをいただけました。今思うと本当に運が良かったです。ここで話し合いに行かなかったら、自分で論文読み漁ってとかする訳ないから研究テーマが見つかっていなかっただろうし、このタイミングだからこそ研究テータをいただくことができたので。ちなみにここまでで読んだ論文の数は10もないです笑。

2年 夏休み

 いよいよ研究テーマが決まったから、やる気はないけど焦りはあるので研究に取り掛かりました。わからないことがあれば関連する論文を読んで調べるのが普通ともいますが、そんなこと僕ができる訳ないのでおおよそはchatGPTに聞きました。chatGPTがなかった2年前なら確実に終わっていました。感謝です😊。そんなこんなで徐々に研究の実験方針を決めていくことができました。ちなみにこの頃は週3回くらい学校に行ってました。そして夏休みの終わりに再び中間発表があったのですが、その発表の前になんとか実験を行うことができ、とりあえずの結果が出た状態で発表に挑むことができました。
 でも前回の中間発表と同様に教授と面談なしで実験を行い、その実験の結果で発表に挑んだため、また論理的におかしい実験の結果を使って発表をしていました。その結果、再び中間発表は公開処刑でした。幸い、研究室のメンバーとは副主任の関係で一緒ではなく、他の研究室の人5,6人に聞かれた程度だったので、致命傷は避けれました。でも大ダメージを中間発表で再び受け、より一層研究が嫌になりました。

2年 後期 学会発表

 中間発表後(9月終わり)から10月終わりまでは学校に行かず、ほぼ毎日パチ屋に行ってました。まどマギ打ちながら奇跡と魔法で修論どうにかならないかなーと思ってました(まどマギわからない人すいません)。この時期はまた研究一切していなかったです。でも11月末には悪魔の学会発表が控えていまたので、今までと同じように時間の経過とともに焦りが出てきました。ちなみに学会発表は博士課程の人のせいでほぼ強制的に参加させられました。学会発表は審査(99.9%受かる)みたいなのを通れば行えるのですが、その審査に出すための資料は教授のチェックが必須なのに、同様に教授と話すのが嫌なので教授に見せずに出したため、ブチギレられました笑。しかも色々書き方(共著者など)が間違っていたので、教授が後始末する羽目になり、流石に申し訳なかったです。
 11月に入るといよいよ学会発表の準備をしないといけなくなり、また週3回くらい学校に行くようになりました。審査の資料見せなかった前科があるので、発表資料は必ず見せるように💢と教授から言われており、発表3日前くらいに教授と博士課程の人に見せました。そしたら夏休みの中間発表から何も変わっておらず、論理的に間違った実験を訂正せずにそのまま発表しようとしている僕をみて頭抱えてました。申し訳なかったです。発表内容は、博士課程の人の研究で出た問題点を改善することが僕の研究テーマなので、それについて話す予定でしたが、如何せん間違ったデータを使って話す必要があり、それは色々まずいから、結局博士課程が行った研究をメインに発表を行いました。だから事前に提出した抄録(審査で出したもの)と違う発表をしており、またもや公開処刑でした。でも僕は研究の公開処刑に関しては歴戦の猛者なので、この頃には強靭なメンタルを持ち合わせており、精神的ダメージは少なかったし、なんならほぼ皆無でした。実際、地方で発表だったので次の日は呑気に観光楽しみました。

2年 後期 学会発表後

 学会発表後は実験の間違っている部分だけを再度やり直し、結果を出した後は学校に行かず何もしなかったです。というか行きづらかったです。学会発表で諸々教授に怒られたことを知られているのですが、それが同期のメンバーだけでなく修士1年、学部4年生にも知られており、研究室はこの3学年で使っていたので、恥ずかしかったからです。
 そしたら同期のメンバーから12月中旬くらいにLINEが来て、「まじで卒業できないかもよ」って言われました。流石にこの一言には今までにない焦りを感じました。その子にどうすればいいかを聞くと、とにかく教授と話すことが大切と言われたので、再び思い腰を上げて教授と面談を行いました。そこではとりあえず実験方法の再確認を行いました。そしたら学会発表後に実験の間違っている部分をやり直したと書きましたが、それすらも間違っていることがわかりました。だから教授にどうすればいいかを聞き、間違えのない方法(論理的に正しい方法)を確認しました。
 12月終わりから1月終わりまではひたすら実験を行いつつ、修論を同時に書くという作業を行いました。相変わらず学校はこの状況でも週3回くらいしか行かなかったですが、週1回は教授と面談を行いました。面談を重ねるにつれ教授と面談するハードルが低くなり、わからないことをほったらかしにすることもなくなっていきました。また週1回の面談だけではなく、チャットでのやり取りも行っていました。そしたらあっという間に修論提出日を迎え、気づけば出し終えてました。

終わりに

 こんな感じで僕は修論を提出することができました。ずっと共通して言えることはとにかく研究に対してやる気がなかったです笑。でもなんとか修論を形にして提出できています。その理由は、強靭なメンタルや、焦りを力に変えたこと、たまたま研究テーマをもらえたという豪運はもちろんですが、教授との面談が大きかったと思います。提出までの最後の1ヶ月は教授と高頻度でやり取りしたおかげで、修論の問題点や意思疎通を図ることができ、的確なアドバイスをいただくことができました。また、文章を書きながら振り返ると、定期的に教授と面談をしていれば、こんな苦痛を味わう羽目になることは無かったのではないかと思うからです。僕もクズ大学院生だったからわかりますが、教授との面談なんて億劫だし、なんなら教授の顔を見るだけでも鬱ですよね。でも経験から言うと、卒業したいならどこかで教授と話し合いという行為を行わないといけないと思います。逆に言うなら教授と話し合う覚悟ができたならば、卒業できるといっても過言ではありません(僕自身もまだ卒業できるとは限らないが)。手遅れになる前に教授と面談する覚悟ができ、無事卒業できるよう祈っています。


 ちなみにこんな僕が大学院生活で手に入れたものは、少しの筋肉とギャンブルセンスです。失ったものは莫大なお金と時間です。ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!