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お酒が飲めない人に送る、お酒を飲めない自分が飲み会に参加したがる理由

突然何を、と思われた方もいるでしょう。
でもいつかはしっかり言語化しておきたいなと前々から思っていた話なんです。
私は下戸です。
どのくらい下戸なのか?と問われれば、ビールをコップ3分の1程飲めば気分が悪くなり、1杯飲めばもう会話もロクに頭に入ってこなくなります。
気持ちのいい思いや楽しい酔いに出会えたこともなく、量を飲まなくてはいけない飲み会ではアルコールが回る前にどれだけ飲めるかが勝負。
人様に迷惑をかけたことも数え切れないほどで、こんな飲めない人間なのに大学時代はテニスサークルに所属していたものですから、それはまあ大変でした。
お酒に弱いかわりにテニスだけでも強くなろうと練習に明け暮れた結果、大学から始めた硬式テニスで学内ベスト8になっていました。

大学を卒業してからアパレル系の商社に勤めたのですが、アパレルは体力勝負の業界。
取引先のバイヤーの接待と、取引先のメーカーから受ける接待のサンドイッチに夜を憂鬱に思う日々が続きます。

お酒が苦手な人は多分私のような思いをした事がある人は沢山いるのではないでしょうか。
お酒が飲めないのに同じお金を払って。
お酒が飲めないのに飲まないといけない雰囲気を感じて。
お酒が飲めないのに周りのテンションだけ上がっていってついていけなくて。
お酒が飲めないのにノリが悪いと言われ、誘われなくなり、自分が所属出来ないグループが形成され。
自分がお酒が飲める人間だったら、と何度も思いました。
生まれながらのアセトアルデヒトの少なさを恨みました。

でも、正直今となれば全て自分の考え方一つだったなと思います。

正直、お酒が飲めない人間こそ、飲み会にいくべきだとすら今は思っています。

アパレル系の商社を退職した後入社した医療系メーカーでは、お客様との飲み会が激減しました。
そのため、飲み会は基本的には社内が殆どとなり、更に配属された部署にお酒を飲まない先輩がいたことからお酒を強要されたりすることはありませんでした。
よくよく考えてみれば『飲めない』とはっきり断ったことは無く、『弱い』というスタンスで飲み会に参加していた事が多かった私が、初めて『飲めない』のスタンスを取ることが出来たのがこの時でした。
『飲めない』を公言する人間にお酒を勧めてくる人は実はあんまりいないことも、この時になってはじめてわかりました。
お酒さえなければ、ただの食事会ですから、なんてことはありません。
見えない酔いに怯えて恐る恐る、薄氷の上でタップダンスを踊らされていたあの頃とは大違いです。

更に気がついたことがあります。
人は酔うと、様々な変化を起こします。
支離滅裂なことを言う人。
船を漕ぎ出す人。
同じ話を何度もしだす人。
ただひたすら笑っている人。
泣き出したりネガティブになる人。

そんな人達の中で、唯一私はお酒というデバフが効かない存在なのです。
会が深まれば深まるほど、お酒のデバフが各々のステータスに影響を与えるわけです。
(もちろんバフになる人もいますが)

そんな中、私は唯一その会でデバフの影響を受けずに会話をし続けることができる存在なのです。

いわば飲み会を最後まで理性的に楽しむことができる存在といっていいでしょう。

更にお酒の影響は記憶にも及びます。
周りが酔えば酔うほど、私はその飲み会に参加した証人として、飲み会の語り部となることが出来るのです。

そう、飲み会のエピソードトークはお酒を飲んでいない私たちのものなのです。

脚色したエピソードトークは素早く正し、欠落したエピソードトークはそのロストピースを埋める役割として、様々な活躍が出来るのです。

ただ、お酒を飲んでいる人達にどうやってテンションを合わせるの?と思われるかもしれません。
お酒を飲んでいる人達は(極論ですが)すぐ変な事を言います。言うまでジッと待ってください。
言わなかったら、それはもう私の知っている飲み会ではありません。(ゴメンナサイ)
やることは至ってシンプル。
変な事を言う人がいたらそこで大きな声で訂正する。これだけです。
飲み会は深まれば深まるほどツッコミ役が不足していきツッコミが雑になっていきます。
基本的には丁寧に拾って冷静にツッコミを入れていくだけで『酔っ払いに冷静なツッコミを入れてる人』というそれ自体がボケのような構図が完成します。
それを見ている周りの酔っ払いは私のツッコミに便乗しツッコミの雪崩が起きだします。
誰よりも理性的だからこそ出来る早押しクイズみたいなものです。
面白いことは残りの人達が大抵なんとかしてくれます。
ただ壁に最初に穴を開けたという実績さえ積んでおけば、周りはあなたのことを飲み会に消極的な人間だったりテンションの低い人間とは思わないでしょう。

更にお酒を飲まないことによるギフトはこれだけに留まりません。
お酒を飲んでいないからと食事を多く回してもらったり、お酒が飲めない人達が慕ってくれたり、会計や体調不良者が出ても冷静に対処が出来ます。
私からしたらお酒飲めないのに金額同じでいいんですか?幾分か多く払いましょうか??くらいの気持ちなわけです。

お酒が飲めない同士にはわかってもらえると思うんですが、お酒が飲めないというだけで飲食の選択肢はグッと狭まります。
お酒を飲まないのに出張中に1人で居酒屋、弩級の引っ込み思案と陰キャの兼業をしている私にはとても入れません。
ただ、お酒を飲んでくれる人が1人でもいれば、どこへでも行き放題です。
私にとってお酒が飲める人は燈明なのです。
燈明とは、サンスクリット語の「ディーパ」の訳で、闇を照らす智慧の光のこと。
そしてその照らされた場所を私が語り部となり後世に語り継ぐのです。

飲めない事は悪いことではありません。
以前の私は飲めない事を悪いことのように思っていましたが、今は違います。
飲めない代わりにその場にいる誰よりも精一杯飲み会を楽しむことで、周りに還元できるものがあると分かったからです。

ドリンクオーダーの時に響き渡る『ビール以外の人〜??』の声に遠慮せず、ピッと腕を上げて『ウーロン茶お願いします』と言ってみませんか?
そして可能ならば、乾杯のときに『今夜は飲むぞ〜!』と大きな声でいってみましょう。
大丈夫、夜中にトイレに行きたくなるくらいの可愛いリスクですから。

妻がお酒が好きなので一緒に連れて行ってもらってます

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