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コメントしたくなる記事には、誰かの人生が宿っている。
僕の文章は、時節柄を無視していることが多いです。
クリスマスの日の記事なのに、クリスマスについて一行もふれなかったり、大きなニュースがあっても、昨日友達と話したことを書く記事が多いです。
これは決して、「あえて俺は、時節柄については触れないんだ!」と、あまのじゃくになっているわけではなく、僕の頭の中に「時節柄の話題を話したい」という気持ちがないのです。
別に、時節柄の話よりも話したい話があるので、わざわざ触れる必要がないと思うのです。
しかし、テレビ番組やラジオ番組だと、時節柄に触れないのはおかしいことらしく、新年最初の放送は「明けましておめでとうございます」の文言が入っているし、冬の情報番組では、寒さ対策グッズばかり特集しています。
校長先生の挨拶ですらも、「桜の花びらがそよ風に運ばれ、春の息吹に心和らぐ季節となりました」など、挨拶の冒頭で、やたら時節柄に触れてきます。
つまり、多くの人が、時節柄の話題に関心を持ってしまうのです。
では、なぜ多くの人が、時節柄の話題を関心を持つのだろうか。
これまでは、その気持ちが全く分からなかったのですが、noteをたくさん書くうえで、その気持ちが分かるようになってきました。
noteをたくさん書いていると、読者からコメントをもらえる記事とコメントがこない記事に分かれます。
そして、コメントがもらえる記事は、閲覧数も多くなります。
なぜ、人気記事は、コメントがもらえるのだろうか。
それは、読者の人生に当てはまる内容になっているからです。
個人が考えていることのほとんどは、大衆の考えていることと一致しません。
特に僕は、会社員をしているわけでもないし、中流家庭で育ったわけでもないので、他人と共通の話題を話せることは、ほとんどありません。
そのため、自分の考えていることをストレートに話しても、他の人の人生に当てはまらないことが多すぎて、共感されにくいです。
しかし、読者の人生にも当てはまるように記事を書けたときは、その反応は異なります。
コメント欄には、「僕もこういうことがあって~」「私は○○という経験をして~」など、僕の記事を、自分の人生に置き換えてコメントをしてくれます。
共感できるから読みたいと思うし、共感できるから反応したくなる。
「共感できること」は、人の心を動かしやすくしてくれるのです。
生まれや育ちが異なっていても、誰にもお正月はあるし、クリスマスはあるし、四季があります。
誰もが共感しやすいからこそ、いろんな媒体が、時節柄の話題に触れたがるのかもしれません。
時節柄の話題は、聞き耳を立ててもらうためのテクニックの一つなのです。
校長先生の話も、もう少し時節柄の話が多くなれば、聞く人が増えるかもしれません。
これからは、皆さんの人生に当てはまるような内容を、もっと書きたいと思います。
今日のバレンタインについては、一行もふれられずに終わってしまいましたが(笑)。
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